先週の説教 -バックナンバー-
14年7月のバックナンバーです。
14年7月のバックナンバーです。
説教:「生ける神に立ち帰れ」
聖書朗読:使徒言行録14章8〜18節
説教者 : 北川善也牧師
神は、一人一人に信仰の種を蒔いてくださる。だが、その種がいつどのような仕方で芽生えるかは誰にもわからない。それは、まさに「神のみぞ知る」事柄だ。
人々にキリストの福音を宣べ伝えているパウロも、キリスト教迫害の急先鋒として活動している時に経験したダマスコ途上の出来事によって種を芽生えさせた。
以来、パウロはひたすら主を頼みとして伝道者の道を歩んできた。バルナバと2人で伝道旅行を続け、ピシディア州アンティオキアを追放された後もイコニオンの町で伝道に着手するが、ここでも迫害に巻き込まれた。彼らは、それでも大胆に福音を語り続けたが、とうとう命の危険を伴う状況となってそこを退却し、リストラに避難した。そして、そこでもたゆむことなく福音を宣べ伝えた。
この町に、「生まれつき足が悪く、まだ一度も歩いたことがなかった」(8節)男がいた。パウロの話を真剣に聞く彼の姿に、この人がいかに救いの言葉に飢え渇いていたかがにじみ出ている。
パウロが福音を語ると、人々は二つのタイプに分けられていった。片や福音を受け入れる者として、片やそれを否定し迫害する者として。だが、パウロたちはどんなに悪意を抱かれ迫害されようとも、どの町でも誰にでも分け隔てなく福音を語った。それは、神の救いがすべての人間に約束されている恵みに他ならないからだ。
たとえどんなに否定的な反応を起こそうとも、蒔かれた福音の種はやがてその人の中で喜びの芽を出し、神の恵みの実りに与りたいと謙虚に願う者へと変えられていくという確信が彼らにはあった。
そして、そのような信仰をもって救いを求めた足の不自由な人に対してパウロは、「自分の足でまっすぐに立ちなさい」(10節)と命じた。すると、途端にその人は躍り上がって歩き始める。ここで、「躍り上がる」と訳されているのは、泉などが「湧き出る」という時にも使われる言葉だ。この人に行われたいやしの業は、汲めども尽きぬ泉のように豊かで力強いものだった。これは神による救いの御業以外の何ものでもなかった。
このような神的な出来事を目撃した異邦人たちは、「神々が人間の姿をとって、わたしたちのところにお降りになった」(11節)と叫んだ。彼らは、二人が自分たちの信じるギリシャ神話の神ゼウスとヘルメスの生まれ変わりと考えたのだ。さらにゼウスの神殿の祭司までがやって来て、二人に献げものといけにえを献げようとした。
町の人々は、神御自身の力ではなく、目の前にいる人間しか見ることが出来なかったのだ。そんな人々に対して、パウロたちは、人々の命を救うため、永遠の命をもって働かれる生ける神について力を込めて告げ知らせた。
神は、天地万物の創造主であり、造られたすべてを統べ治めておられる。この御方は、すべてのものを生かし、人々を永遠の命へと導いてくださる。このような神が絶えず自分と共にいてくださるという信仰を持って生きることは、何と大きな恵みだろうか。
我々は、そのような神にこそ献げものをしなければならない。そして、神に献げるべきものとは、「生ける神に立ち帰れ」と勧められているように、我々自身を神の御前に差し出すことに他ならない。我々自身が献げものとなって、神の御業のために働かせていただく時、そこに何よりも大きな喜びと希望が満ちあふれる。
しかし、そのような時にも決して忘れてならないのは、我々自身を献げるよりはるかに大きな献げものを神が既に我々のためにしてくださっているということだ。我々は、神の御子が十字架に献げてくださった犠牲より大きな献げものをすることは絶対に出来ない。
説教:「信仰の門が開かれた」
聖書朗読:使徒言行録14章19〜28節
説教者 : 北川善也牧師
パウロは、かつてキリスト者の迫害に燃える命から、キリストを宣べ伝えるために生きる命へと造りかえられる経験をした。その時、主はこう言われた。「あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。わたしの名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、わたしは彼に示そう」(使徒9:15-16)。
リストラ伝道に取り組んでいた時、石打ちの迫害を受けたパウロは、瀕死の重傷を負って町の外に引きずり出されたが、他の町に移動してなおも伝道活動を継続した。このように、パウロたちが立ち寄る町々では、多くの信仰者が与えられるだけでなく、どこでも例外なしに迫害が起こり、その度に彼らは別の町に移動することを余儀なくされていた。
彼らにしてみれば、一つの町でもっと腰を据えて伝道したいと願いながらも志半ばにして退却せざるを得なくなったわけだが、彼らが離れていった町々には確実に信仰者が根付き、その人々によって教会が建てられていくのだ。
パウロたちの働きは、真の神を知らず、それゆえ確固たる救いの希望を与えられていない人々にイエス・キリストを紹介することだった。この御方は生きて働かれるので、人間の業を介さずともそこで大いなる力を発揮される。
人間は、傲慢でおごり高ぶる存在だ。自分の力で何でもできると考え、神なしで生きようとする。しかし、そのような生き方は、酸素ボンベなしで海底深くまで潜っていくことと似ている。調子に乗って潜り続け、気付いた時には海上に戻るまでに必要な酸素が自分の中に残っていないのだ。
今日の聖歌隊奉唱歌は、アイオナ共同体の讃美歌「私はぶどうの木」だ。「私はぶどうの木、あなたがたは枝。つながりを信じて豊かな実を結ぶ。私から離れて何をして生きるか?枝としてつながり日ごとに生きなさい」(1節)。この歌詞のように我々は神を離れては生きられない。神という酸素なしに人間は生きていけないのだ。
パウロたちが伝道旅行において異邦人と出会うことによって示されたのは、まさにそのことだった。彼らは、第1回目の旅を終えるにあたり、進んできた道のりを再び引き返して帰ることにした。
険しい山岳路を経て辿り着いたピシディア州アンティオキアからイコニオン、リストラ、デルベなどを巡る旅。彼らは、行く先々で多くの信仰者を与えられたが、同時に激しい迫害を受け命の危険にもさらされた。再び同じ町を訪問すれば今度こそ殺されるかも知れなかった。しかし、彼らには自分のことよりその町に残された信仰者たちの安否の方が気がかりだった。そこで、彼らは来た道を戻りながら訪問した町々で信仰者たちと再会し、たとえどんな苦しみがあろうとも神による救いの確かさに信頼し、信仰を守り通すよう共に祈り、励ましていったのだ。
パウロたちは、自分たちを祈って送り出してくれたシリアのアンティオキア教会に戻るとすぐ「伝道報告会」を行い、彼らが巡った異邦の地でどんなことがあったかをつぶさに語った。ここにおいて、アンティオキア教会と伝道地に立てられた新しい教会、そしてそこに与えられた新しい神の家族との間に絆が形成され、遠く離れた伝道地のことが自分たちの祈りの課題として共有されていった。
それからしばらくの間、パウロたちはアンティオキア教会の人々と共に過ごしたが、いつも皆と生まれたばかりの教会を覚えて祈りを合わせたことだろう。このような祈りと礼拝を中心とした信仰の交わりにおいて、彼らは次の伝道旅行に向けてのエネルギーを蓄えていく。祈り、祈られる教会の交わりという恵みがここにある。
説教:「救いはどこから?」
聖書朗読:使徒言行録15章1〜11節
説教者 : 北川善也牧師
パウロはかつて、律法を守ることによってのみ人間は義とされ、神との交わりも深められると固く信じていた。それゆえ、十字架にかかって死なれたイエスこそ真の救い主であると信じるキリスト者たちは、彼にとって神を冒涜する不届き者に他ならなかった。だからパウロはキリスト者の迫害に人一倍積極的に取り組んだのだ。
彼は、その迫害の真最中にキリスト御自身と対面するという強烈な出来事を経験する。それがダマスコ途上の出来事だった。彼は、「わたしはあなたが迫害しているイエスである。起きて町に入れ。そうすればあなたのなすべきことが知らされる」(9:5-6)という主の御声に促されて出会ったアナニアを通してキリストの福音に触れ、洗礼を受ける。福音とは、このように一人の人生を大きく変える計り知れない力を持っている。
今やキリストの使徒となったパウロは、神を知らない異邦人のところへ行き、命の危険も顧みず、まさに命がけで福音を宣べ伝える者となった。これはもはや人間の思いを越えた神の御手による驚くべき御業と言うしかない。
パウロは、小アジアを巡りながら各地で福音を大胆に語り、多くの信仰者が与えられた最初の伝道旅行を終えて、自分たちを送り出してくれたアンティオキア教会に戻った。教会の人々は、彼らの伝道報告を聞き、神の救いから最も遠いと見なされていた異邦人にも神が「信仰の門を開いてくださったこと」(27節)を知った。
ところが、ユダヤ人キリスト者の中には、異邦人の救いをどうしても受け入れられない人々がいた。彼らは、神による救いの御業という人間の思いをはるかに超えた出来事さえ自分たちの価値観という枠の中に納めなければ気が済まなかったのだ。
このままでは、同じ信仰に生きているはずの共同体がユダヤ人と異邦人の2グループに分離し、すべての人を救うというキリストの約束が歪められてしまう。そこでパウロとバルナバは、エルサレムへ出向き、使徒たちとこの問題について話し合う必要に迫られた。
エルサレム教会には、主イエスによって教会の鍵の権能を授けられたペトロがおり、教会が正しい教えを宣べ伝えるための責任を担っていた。パウロからアンティオキア教会で起こっている問題について聞いたペトロは、ただキリストの教えに立ち帰り、その救いの約束を再確認するよう告げた。
主は、「あなたがたは地の塩である。あなたがたは世の光である」(マタイ5:13以下)と言われた。これは、主を信じる者がこの世においてそのような存在に変えられると言われた言葉だ。主を信じる者は、この世の砂粒のように多くの人間の中でひと味違う塩となり、ほんのわずかな塩加減で料理が見違えるように味わい豊かになるのと同じように、この世にキリストの香りを漂わせる存在とされていく。また、暗闇であるこの世にあって、主から真の光を受けた者たちが、あたかも蛍光塗料のように照らされた光を蓄え、暗闇の中で異彩を放つ存在となる。
しかし、我々の側にそのようになる条件が備わっているわけではない。そこにあるのは、ただ主がすべての人間を救うと約束してくださった御言葉だけだ。つまり、主によって変えられたごく普通の人間が、遣わされていくそれぞれの場所で一人浮き上がるような形ではなく、そこで溶け込んでいくようにしてその役割を果たすのだ。しかも、それは我々ではなく、我々の中で生きて働いてくださる主御自身の働きに他ならない。
我々の救いは、神の御子が十字架にかかってくださることによって完成された。救いの条件は我々の側には全くない。すべては主の十字架という御業のうちにある。
説教:「最初の教会会議」
聖書朗読:使徒言行録15章12〜21節
説教者 : 北川善也牧師
教会会議が行われたエルサレム教会は、主イエスの弟子たちに聖霊が降った、あのペンテコステの出来事によって建てられた最初の教会だった。
そこで教会会議が行われたのは、異邦の地まで散らされていき、そこに教会を建て、信仰共同体を形成していった人々の中に深刻な問題が生じたからだった。
主の弟子たちを始めとする最初のキリスト者は皆ユダヤ人だった。彼らにとって旧約聖書、すなわち律法を守る生き方は当然のものであり、異邦人がキリスト者となる場合もまず律法に基づき神の戒めを守る生活に入らねば救われないと教えていた。
これに対して、パウロやバルナバは次のように反論した。「ユダヤ人も異邦人も関係なく、人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストへの信仰によって義とされる。また、律法の実行によっては、誰一人として義とされない」。
このように、「神の救いはいかにして与えられるか」を巡って教会内に二つの理解があり、そこに激しい意見の対立が起こった。このままでは、教会は確信をもって伝道することができないばかりか、それによって分裂しかねない状況となった。そこでユダヤ人と異邦人の伝道に携わる人々がエルサレムに集まり、この問題について協議することとなったのだ。
ここで話し合われたのはキリスト教の核心的な事柄であり、どちらも一歩も譲れなかったが、ペトロがここで語ったのは、神が実現してくださったことの客観的な証しだった。ペトロは、主にユダヤ人伝道に取り組んでいたが、パウロの報告を聞いて「神は、異邦人にも聖霊を与えてくださいました。また、彼らの心を信仰によって清め、わたしたちと彼らとの間に何の差別もなさいませんでした」(15:8-9)と証言した。パウロ自身も、「自分たちを通して神が異邦人の間で行われた、あらゆるしるしと不思議な業について」話した(12節)。
すると、二人の証言を聞いた全会衆は静まりかえり、ここに教会会議は一つの結論に達した。それはひとことで言えば、福音を信じる者は、律法の定めから自由にされるということを教会全体が共通認識をしたということだった。
こうして、キリスト教における救いの問題の答えは明確となった。だが、主イエスの兄弟で、エルサレム教会の最高責任者であったヤコブにはなお語るべきことがあった。彼は、「ただ、偶像に供えて汚れた肉と、みだらな行いと、絞め殺した動物の肉と、血とを避けるようにと、手紙を書くべきです」(20節)と付け加えた。
ここに列挙されているのは、ユダヤ人なら汚れていると言って決して口にしない食物だが、律法の縛りがない異邦人キリスト者たちはこれらも平気で食べてしまう。すると、一つの共同体で生活している者たちが互いの食物でつまずき、交わりが断絶してしまう。
ヤコブは、現実の教会がどうしたら真に一つとなることができるか、どうしたら一つの共同体として愛と恵みに満ちた食卓を囲むことが出来るかを考えた。偶像に供えられたからと言って肉が汚れているなどと考える必要などどこにもない。偶像は、単なる物体に過ぎず、そこには何の汚れもないからだ。しかし、幼少期から律法の教えを刻み付けられてきたユダヤ人にとって、これはどうしても乗り越えられない問題だったのだ。
それならば、異邦人キリスト者が、そのような弱さを抱えたユダヤ人キリスト者に配慮してそれを遠ざけるべきだ。ヤコブはこのように告げ、すべての人が招かれているキリストの御体なる教会をますます発展させるため、皆が互いを配慮し、喜びをもって群れに連なることを願ったのだ。