先週の説教 -バックナンバー-
14年11月のバックナンバーです。
14年11月のバックナンバーです。
説教:「宣べ伝えられる神の御言葉」
聖書朗読:使徒言行録17章10〜15節
説教者 : 北川善也牧師
パウロとシラスによるテサロニケ伝道によって、多くのキリスト者が与えられたが、そのことをねたむ者たちが暴動を起こしたため、パウロたちはテサロニケからの退却を余儀なくされてしまう。
彼らは、テサロニケから歩いて二日程の距離にあるべレアの町へ移動した。追っ手を逃れながらの緊迫に満ちた旅の直後であったにもかかわらず、べレアに着くと彼らはすぐに伝道活動を再開した。
このことから、パウロたちがいかに福音伝道の使命に燃え、その働きを少しでも迅速に進めたいと願っていたかが推察される。彼らは、神が自分たちに与えられた今という時を決して無駄にしてはならないという熱い思いをもって福音伝道に取り組んでいたのだ。
11節に「ここのユダヤ人たちは、テサロニケのユダヤ人よりも素直で……」という記述がある。テサロニケでも多くのユダヤ人が福音を受け入れ、信仰者とされたが、べレアのユダヤ人の方が彼らよりも素直だったというのだ。
「素直で」と訳されているのは、「素直な子どもだ」と言うような時に使う言葉ではなく、「志を高く持つ」、「高潔である」というニュアンスを持つ言葉だ。べレアにはそういう人たちが多くいて、パウロたちが語った福音の言葉をただ熱心に受け入れるだけではなく、「そのとおりかどうか、毎日、聖書を調べていた」という。
つまり、べレアの人たちは、福音、すなわち神による救いの言葉を、飢え渇きをもって待ち望んでいたのだ。だからこそ、彼らは語られた福音を聖書に照らして繰り返し調べるという姿勢でもって真剣に真理の道を探し求めたのだ。
彼らは、パウロたちが来たから慌ててこういう姿勢を取り始めたのではなく、これまでの日常生活の中でも真剣に「真の救い主」を探し求めていたのだろう。このような人々の姿は、生まれたばかりの主イエスとの対面を、星の導きによって与えられた東方の博士たちを思い起こさせる。
「イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。『ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。』……彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた」(マタイ2:1-11)。
洛北教会には、今年のクリスマスに洗礼へと導かれようとしている方たちが与えられている。そういう人たちのために、教会では洗礼の時まで信仰の学びを一層深め、信仰の核心に少しでも近づくために「洗礼準備会」を持つ。
しかし、信仰というものはこのような数回の学びによって身につけられるようなものではない。べレアの町の人たちのように、すべての信仰者は自分が「発展途上」の人間であるという意識に絶えず立ちつつ、日々の生活の中で繰り返し聖書の御言葉に触れ、真理を求め続ける姿勢が必要だ。
教会では、聖書の御言葉を「日毎の糧」と呼ぶことがある。それは、聖書を読み、神の御言葉に触れることは、我々の信仰の成長に欠かすことのできない栄養源だからだ。我々は、日々聖書の御言葉に触れ、主日礼拝において御言葉の説教を聴き、讃美を合わせ、祈ることによって自らが探し求めている真理、救いの確信を深めていく。聖書の御言葉は、我々を養い導く命の源に他ならない。
説教:「神さまのお名前」
聖書朗読:マタイ福音書5章33〜37節
説教者 : 北川善也牧師
わたしたちは約束をします。お友だちと会うとき、「何時にどこどこで会おう」という約束をしますね。こんなふうに、わたしたちの毎日の生活には約束をする場面がたくさんあって、ある意味では約束によって人間社会は成り立っているとも言えます。だから、約束はとても大事なことなのです。
そして、わたしたちは誰かとの約束を絶対守ると信用してもらいたいときに「誓い」をします。誓いとは、「選手宣誓」のように大勢の人の前で「この約束を守るために全力を尽くしてがんばる」という気持ちをはっきり表して、自分がその約束を守る意志を強く持っていることを示すことです。神さまを信じている人は、神さまの前でこの誓いをします。
教会で行われる結婚式の中で、結婚しようとしている男女が「結婚の誓約」をしますが、これは神さまに向かって行う誓いです。神さまのお名前を呼んで、「わたしは神さまの前で、この人と結婚することを誓います」と言って、神さまご自身に結婚の証人になっていただくのです。このように、神さまのお名前を呼んで誓いをするのは、とても責任の重いことです。
十戒の三番目の掟は、「あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない」です。「みだりに」とは、軽い気持ちで、ということですから、「あなたは、神さまのお名前を軽い気持ちで口にしてはいけません、と言っています。
ユダヤの人たちは、この掟を形だけ守ろうとするあまり、神さまのお名前を口に出さず別の読み方に変えて呼んでいました。ところが、そんなことをしているうちに神さまのお名前の本当の読み方を忘れてしまったと言うのです。
すると、人々は神さまのお名前の読み方を忘れてしまったから、神さまの代わりに何か別のものに誓うことにしよう、と言い出しました。それで、空を指さして「わたしは天にかけて誓う」と言ったり、地面を指さして「わたしは大地にかけて誓う」と言ったりするようになりました。こうして誓いの言葉は、気持ちのこもらない軽いものになっていったのです。
そんな頃、イエスさまは弟子たちに向かって、「一切誓いを立ててはならない」と命じられました。イエスさまは、もし誓うなら空や地面に誓うような真似をしても意味がない、とおっしゃったのです。そして、神さまのお名前の読み方がわからなかったとしても、神さまはいつでもわたしたちと一緒におられるのだから、わたしたちが誓うことは神さまの前で誓われているのと同じだ、と言われました。イエスさまは、わたしたちがいつでも神さまの前で誠実に生きることを求めておられるのです。
でも、わたしたちは、神さまどころか人と約束したことだって守ることができません。わたしたちには、神さまの前で正しく生きることができない弱さがあります。神さまは、わたしたちのそんな弱さもよくご存知です。約束を守ることができないわたしたちに神さまご自身が大切な約束を守ってわたしたちのために救い主を遣わしてくださったのです。
イエスさまこそ、神さまの前で正しく生きられないわたしたちのために来られた救い主です。わたしたちは、神さまのたった一人の子どもであるこのイエスさまとつながることによって神さまの子どもとされるのです。
イエスさまが「祈るときには、こう祈りなさい」と教えてくださった主の祈りは、「天にましますわれらの父よ」という言葉で始まっています。神さまがわたしたちのお父さまである、とはイエスさまが初めて教えてくださったことです。イエスさまが来てくださったので、わたしたちはこのように神さまのお名前を正しく呼ぶことができるようになったのです。
説教:「真理を求める人間」
聖書朗読:使徒言行録17章16〜21節
説教者 : 北川善也牧師
パウロは、べレアの町で暴動に巻き込まれ、テモテとシラスより先に、一人でアテネへと向かった(17:10)。パウロは二人を待ちつつ過ごす間、アテネ中を歩き回り、町の様子を鋭く観察した。そして、それによって自分がこの町でなすべき働きを明確に示された。
アテネには、至るところに偶像が置かれていた。パウロはそれを見て、この町に一刻も早く真の救い主を宣べ伝えねばならない、と伝道の思いを熱く燃やしたのだ。
しかし、同労者であるテモテとシラスに「できるだけ早く来るよう」指示していたのだから、彼らの到着を待ち、三人で力を合わせて伝道を開始するというのが普通の考え方だろう。だが、この時のパウロはそのように考えられるほど冷静ではいられなかった。
アテネは、哲学と芸術の伝統によって高度な文化の香りを放つギリシア第一の都市だった。かつてソクラテスやプラトンが活躍したこの町では、パウロの時代にはエピクロス派やストア派などの盛んな活動によってなおも知的関心の気風を保ち続けていた。
その一方で、アテネの町が持つそのような知的関心と芸術文化が絡み合うことは、様々な偶像を生み出す要因ともなっていた。アテネの人々は、文化活動を通して本来進むべき道を大幅に外れ、真の神を求めるのではなく、人間の手で造り出した神々を拝むという過ちに突き進んでいたのだ。
パウロは、これまで伝道旅行で訪問した町々で、ユダヤ人の会堂であるシナゴーグを足掛かりとして伝道に取り組んだが、アテネではこれまでと違い、人々の知的議論の場となっていた広場へ出かけて行って、町の人々の議論の輪の中に積極的に入っていった。
パウロは、このようにして人々の神への思いを直接確かめたかったのだろう。そして、もちろん伝道に燃えていたパウロは、偶像のはびこるこの町において、できる限り多くの人々にキリストの福音を宣べ伝え、信仰者を生み出したいと願っていたはずだ。
パウロは、広場で相手かまわず議論をし、キリストの十字架と復活の出来事によって、神がこの世に救いをもたらしてくださったことを告げ知らせた。
アテネの人々は、パウロがキリストの出来事を熱く語れば語るほど、「このおしゃべりは、何を言いたいのだろうか」などと嘲笑の言葉を浴びせた。彼らは、パウロが語っている福音の意味を全く理解できなかったのだ。
しかし、人々はパウロが語る「新しい情報」に知的関心を傾けた。そして、その「情報」についてもっと詳しく聞きたいと考え、パウロをアレオパゴスという施設へ連れ出し、「あなたが説いているこの新しい教えがどんなものか、知らせてもらえないか。奇妙なことをわたしたちに聞かせているが、それがどんな意味なのか知りたいのだ」(19b-20節)と問いかけた。けれども、残念ながら彼らの知的関心がそこから先へ、すなわち信仰へと変わることはなかった。
人間を根底から造りかえる新しい知らせ、福音は、それを求めている者にとっては何よりも大切な宝となるが、そうでない者にとっては意味さえわからぬ無価値なものとなってしまう。そのような人々は、朽ちていく古い情報にいつまでも振り回され、その尽きることのない膨大な情報に埋もれるようにして生きるしかない。
主イエスの御言葉が迫ってくる。「耳のある者は聞きなさい」(マタイ13:43)。これは、まさに神の御言葉を受け止めようとしない人間に対する痛烈な警告だ。
しかし今や、我々はこの世の空しい言葉に流されず、ただ一つの救いの御言葉、福音によって絶えず新しくされていく希望に満ちた生き方を示されている。
説教:「神は遠く離れてはおられない」
聖書朗読:使徒言行録17章22〜33節
説教者 : 北川善也牧師
パウロは、伝道協力者テモテらと離れ、単独でアテネに来ていた。アテネは、古くから哲学徒の集まる町だったが、偶像を神とし、拝むため至るところに並べているような町でもあった。そんな町で伝道するにあたり、パウロはこれまでのようにユダヤ人の礼拝施設、シナゴーグを足掛かりとするのではなく、アテネ独特のアゴラと呼ばれる広場で哲学談議に花を咲かせる人々のところへ出向いた。
アテネの人々は、パウロが語るキリストに関する話の意味を理解できなかったが、持ち前の知的好奇心を膨らませ、その話をもっと詳しく聞かせてほしいと願った。
そして、町の有力者による評議会が開かれるアレオパゴスという場所へ連れて行かれ、そこで人々から「あなたが説いているこの新しい教えがどんなものか、知らせてもらえないか。奇妙なことをわたしたちに聞かせているが、それがどんな意味なのか知りたいのだ」(19-20節)と問われた。
パウロは、「諸宗教のデパート」のような町で暮らす彼らにこそ福音を宣べ伝え、真の神に対する信仰へ導かねばならないという思いに駆られて「アレオパゴスの説教」と呼ばれる伝道説教を語った。
パウロは、まず町に並んでいる偶像を引き合いに出して語り始めた。人々は、あらゆる神々を拝むことによって、すべての「ばち」から逃れて幸福に過ごすことを求めていた。パウロは、そんな彼らに神がただ御独りであることを教えた。そして、この御方がすべてのものの創造主であり、人間の命の源であることを告げた。
この神が、永遠の命をキリストにおいて示された。神の御子は、我々を、神から離れ、神に背いて生きようとする罪を抱えたまま、無反省に命を費やしてしまうような生き方から立ち帰らせるため、神の愛を我々の眼前で示された。それが十字架の出来事だった。
十字架によって、神は御自分の大いなる愛を我々に差し出してくださった。そして、この愛を受けて神の子として生きよ、と告げ知らせてくださる。主の十字架と復活の出来事は、神が何の見返りも求めず、ただ一方的に我々に向けて差し出してくださった恵みの御業だ。つまり、我々はこの恵みを前にして、受け入れるか否かの決断を求められているのだ。
だが、アテネの人々は、これを聞いてあざ笑った(32節)。特に「死者の復活」についてそうだった。人として来られた神の御子イエス・キリストが十字架の死から復活を遂げられた事実こそ、すべての人間に真の命をもたらす喜びの知らせであり、何よりも大きな希望の出来事だ。だが、現実にはこれを聞いてあざ笑う者がいる。
このような対応を受けたパウロは、その場から立ち去って行った(33節)。彼がどんな感情を抱いていたかはわからないが、彼はきっと「自分が語るべきことは十分に語った」という思いで、後はすべて神の御手のうちにあることを信じ、委ねて立ち去ったのだろう。
パウロは、自分が「神の御言葉を運ぶ器」であることを、あのダマスコ途上の回心以来、明確に認識していた。それゆえ、御言葉が「運ばれた」後は、神御自身が御業を成し遂げてくださるということを彼は深く信頼していたのだ。
「彼について行って信仰に入った者も、何人かいた。その中にはアレオパゴスの議員ディオニシオ、またダマリスという婦人やその他の人々もいた」(34節)。パウロは、アテネから立ち去ったが、彼が語った福音は活きて働き、信仰者を起こしていった。これこそ伝道の働きを進めているのが、人間ではなく神御自身であることの何よりも確かな証拠だ。神による人類救済の歴史は、このようにして着実に進められていく。
説教:「この町には、わたしの民が大勢いる」
聖書朗読:使徒言行録18章1〜11節
説教者 : 北川善也牧師
パウロによる二回目の伝道旅行は、小アジア伝道を志すパウロとシラスによって開始され、途中から若い伝道者テモテも加えられた。だが、彼らが計画通り旅を続けようとすると、「聖霊に禁じられて」小アジアを巡れなくなった。
一行は、聖霊の導きとは言え、「不承不承」船に乗り込み、小アジアからヨーロッパへ移動する。しかも、フィリピから開始したヨーロッパ伝道は、どの町でもうまくいかず、逆に迫害を受け町々を追いやられるという有様だった。
そんな状況下、べレアの町でシラス、テモテと一時的に離れたパウロは、一人でアテネへ向かった。そこでパウロは単独で伝道を試みるが、人々はあざ笑い、まともに受けとめようとはしなかった。
パウロは、アテネを立ち去り、コリントへと向かった。政治経済の中心であるこの町には、世界中から人とお金が流れ込んできた。大都市コリントには「神殿娼婦」が多数いて風紀が大変乱れており、当時「コリント人のように生活する」という慣用句は、「ただれた生活を送る」という意味で用いられていたほどだった。
パウロは、ここでまずユダヤ人夫妻のアキラとプリスキラに会う。彼らは、ローマでのユダヤ人迫害を逃れるため、コリントに移って来たのだった。二人は、パウロを自宅へ招き、テント造りの仕事を与えた。パウロは、彼らの援助を受けつつ、安息日にはユダヤ人会堂で福音伝道に励んだ。
やがてシラスとテモテがマケドニア州の諸教会から託された献金を携えてコリントに到着し、パウロと合流した。こうしてパウロは心強い伝道協力者と献げものによって、毎日人々に福音を宣べ伝えることができるようになった。
しかし、パウロがコリントのユダヤ人に伝道すると、彼らは福音に耳を傾けるどころか頑なに反抗し、口汚くののしった。そんな彼らに対してパウロは、「あなたたちの血は、あなたたちの頭に降りかかれ。わたしには責任がない」(6節)と告げた。これは、彼の、自分にできる限りのことはしたのだから後は神に委ねる以外ない、という思いから出た言葉だろう。
その後、パウロは、ユダヤ人会堂の隣に住むティティオ・ユストという異邦人宅へ引っ越す。彼がユダヤ人への伝道をあきらめて新しい行動を取った時、ユダヤ人会堂の会堂長クリスポとその家族全員が主イエスを信じて洗礼を受けるという不思議が起こった。クリスポは、ユダヤ人の集会を計画したり、説教者や教師を決めたりする重要な働きを託されていた。コリントのユダヤ人社会における重要人物が信仰に導かれると、他の多くの人々もパウロが語る福音を聞いて信じ、洗礼を受けた。
コリントでの伝道は、このように思いもよらない形で進展したが、パウロはこれを素直に喜べなかった。なぜなら、これまでどの町でも彼の伝道は迫害を生み出し、その地から志半ばで立ち去らざるを得なくなってきたからだ。パウロは、そんな状況が続くことで心身共に疲れ果て、不安な気持ちを募らせていき、福音を語ることをやめようとさえ考えていた。
そんなある夜、パウロは幻を通して神の御言葉を聞く。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ」(9b-10節)。
神の救いの対象はすべての人間であり、まだこの町の人々に福音は十分行き届いていなかった。その福音を宣べ伝える大切な働きがパウロに託されているのであり、彼が語らねば福音は届けられないのだ。パウロは、この神の御言葉に励まされ、以後1年6ヶ月にわたりコリント伝道に取り組んだ。