先週の説教 -バックナンバー-
14年12月のバックナンバーです。
14年12月のバックナンバーです。
説教:「神の御心ならば」
聖書朗読:使徒言行録18章12〜23節
説教者 : 北川善也牧師
パウロ単独でのアテネ伝道は、散々たる結果だった。人々は彼の話を聞いてあざ笑い、まともに受けとめようとはしなかった。彼は、シラスとテモテの到着を前にアテネでの伝道が失敗したことを認め、立ち去らざるを得なかった。
コリントに場所を移したパウロは、なおも二人の同労者を待つ間、アキラとプリスキラというユダヤ人夫妻の家で世話になり、平日はテント造りの仕事をして、安息日にはユダヤ人会堂で伝道するという生活を送っていた。
やがてシラスとテモテが、マケドニア州の諸教会から託された献金を携えてコリントに到着すると、パウロは物心両面で支えられ、安息日だけでなくすべての時間を伝道のために割き、「御言葉を語ることに専念」することが出来るようになった(18:5)。
だが、コリントもアテネに負けず劣らず町中に偶像がはびこり、風紀の激しく乱れた町だった。そのような町における伝道活動は、パウロを肉体的にも精神的にも疲弊させた。コリントのユダヤ人も、やはり彼の話を聞いてあざ笑い、口汚くののしってきたのだ。
そんな彼らに対してパウロは、「今後、わたしは異邦人の方へ行く」と言ってそこを離れ去った。
パウロは、福音の種蒔きが自分に託された仕事であり、種を実らせ、収穫してくださるのは神であるという確信を持っていたが、行く先々で拒絶されるという状況で心身共に参ってしまったのだ。
そんなパウロに神は御言葉を与えられた。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ」(18:9-10)。パウロはこの御言葉に支えられ、その後もコリントに一年半留まって福音伝道に取り組み続けることが出来た。
我々は、このようなパウロの姿から、彼が人間の力をはるかに超えた神の力によって歩まされていることを知る。それは彼の、絶えず神を仰ぎ見つつ歩むという生き方から来るものに他ならない。
我々は今、待降節を過ごしている。この時期、我々は「待つ」ということについて深く考える。
我々が通常待つのは、計算しながら待ち望むことが出来るものだ。現にクリスマスの日も、アドベント・クランツの蝋燭に火が一本また一本と灯されることによって確実に数えることが出来る。
しかし、同じ「待つ」のでも、それが時空を越えた、この世に属するものではない、永遠なる存在であるとするならばどうだろうか。そのような場合、我々はただ天を仰いで待つより他はない。
パウロは、コリントで暴動に巻き込まれ、法廷に引き立てられて行った。これが、「恐れるな。語り続けよ。黙っているな」という神の御言葉に従った結果だった。
パウロには明確な罪状がなかったため、すぐに解放されたものの、これ以上のコリント滞在に限界を感じたパウロは後をコリント教会の信徒たちに託し、船で小アジアのエフェソへと向かった。
エフェソは、パウロにとって小アジア伝道を志した当初から訪問を待望していた町だった。その念願が叶った訳だから、パウロはここでの伝道にさぞかし時間をかけて取り組むだろうと思いきや、現地の人々がもうしばらく滞在するよう願うのを彼は断るのだ。
しかし、パウロは同時に「神の御心ならば、また戻ってきます」(21節)と告げた。彼は徹頭徹尾、伝道の働きが人間を通して行われる神の御業であると信じて取り組んだ。このようにしてパウロが貫いた、自分の判断でよしとするのではなく、神の時を待つという生き方が、アドベントの時を過ごす我々にも示されている。
説教:「メシアはイエスである」
聖書朗読:使徒言行録18章24〜28節
説教者 : 北川善也牧師
ここに初めて登場するアポロの出身地アレクサンドリアはエジプトの大都市で、当時、地中海世界最大の学問・文化・宗教の中心地だった。ここを活動拠点としたフィロンは、聖書とギリシア哲学を調和させようとする「折衷主義」哲学を打ち建てた。
ギリシア哲学の影響を受けた人々の一部は、人間が神と同質であり、神の計画や考えはすべて人間に理解できると考えた。このように人間が神の知恵を持つとする思想がグノーシス主義だ。彼らは、形あるものをすべて不完全と考え、肉の姿を取って来られた主イエスを神とは認めなかった。
フィロンの考え方は、このグノーシス主義に極めて近く、アポロは同郷である彼から大きな影響を受けていたと推察される。一方、「彼は主の道を受け入れており、イエスのことについて熱心に語り、正確に教えていた」(25節)とも言われている。だが、アポロは主イエスをキリストと信じていたけれども、「ヨハネの洗礼しか知らなかった」というのだ。
洗礼者ヨハネは次のように語った。「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる」(ルカ3:16)。我々が知らねばならないのは、ヨハネが指し示している御方であって、ヨハネしか知らないということは肝心の救い主とまだ出会っていないということだ。
アポロの信仰内容は、パウロが書いたTコリント書に示されている。自分が開拓伝道したコリント教会内に派閥抗争が発生したことに心を痛めたパウロは、調停のためにこの手紙を書いた。
「『わたしはパウロにつく』『わたしはアポロに』『わたしはケファに』」(1:12)と言って、信徒たちは派閥に分かれた。パウロの次に「ケファ」、すなわち筆頭弟子ペトロではなく「アポロ」の名が挙げられていることからも彼の影響力の大きさが垣間見える。
パウロは次のように述べている。「知恵のある人はどこにいる。学者はどこにいる。この世の論客はどこにいる。神は世の知恵を愚かなものにされたではないか。世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。それは神の知恵にかなっています。そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです」(1:20-21)。
これは、アポロを念頭に置いて語られた言葉だ。パウロは、今コリント教会が直面している問題は単なる派閥抗争ではなく、「知恵と雄弁」に寄り頼むアポロの伝道によって異端の教えと近づいていることだと指摘しているのだ。
しかし、パウロは同じ手紙で「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です」(3:6a)と言って、彼ら二人に託されている福音の種蒔きは、いずれ主御自身によって成長させられ、刈り取られると強調している。
今日与えられた聖書箇所でも、既にアポロが「雄弁家」と特徴づけられていることから、彼がその博識にものを言わせて雄弁に伝道を進めていた様子が伺える。
しかし、エフェソの会堂でアポロの言葉を聞いたプリスキラとアキラ夫妻は、彼の教えが下手をすると異端と同化してしまうと感じ、彼を自宅へ招いて「もっと正確に神の道を説明した」(26節)。
プリスキラとアキラは、パウロから全面的な信頼を受けていた。そんな彼らから正しい福音を受け継いだアポロは、その後「メシアはイエスである」との信仰に固く立って伝道の旅へ出かけていく。
説教:「すべての人を照らすまことの光」
聖書朗読:ヨハネ福音書1章1〜14節
説教者 : 北川善也牧師
「初めに言があった」と聖書は告げる。「初めに」とは、すべてに先んじてということだから、「言」は何よりも先に存在したということだ。さらに、「言は神と共にあった。言は神であった」とも言われている。神は偉大な御方だから、とても一言で表現することはできないが、あえてたとえるなら「言」というわけだ。
なぜ聖書は神を「言」と表現するのか。イザヤ書40章に次のような言葉がある。「草は枯れ、花はしぼむがわたしたちの神の言葉はとこしえに立つ」(8節)。前半で被造物のはかなさが言われている。その点、日本の伝統的な「諸行無常」の精神性と共通する点があるかもしれない。生きとし生けるものの命ははかない。人間もやがては朽ちていく。そのはかなさこそこの世の本質だというのだ。
ところが、イザヤ書はそのように言いながら、後半では何があろうとも永遠に立ち続けるものがあると明言する。それは、神の言葉だけだというのだ。
そして、ヨハネ福音書は今やその「言」が肉となったと告げる。それは、我々とは全く異なる永遠という次元を生きておられる神が、この世の歴史に刻まれる存在として到来されたということだ。
クリスマスは、この世を覆う空しさやはかなさという闇に、ひとすじの確かな光が差し込んだ時だ。逃れることの出来ない死を自らの限界として受け入れ、そこに向かって進むしかなかった人間に、その限界を突き抜ける力が存在することを示すため、命の源である神がこの世に来られた。
ベツレヘムの家畜小屋で生まれ、ナザレの大工の家に育ち、ガリラヤ湖畔で弟子たちと生活された主イエス。この御方はゴルゴタで十字架におかかりになった。このような歴史的存在として、永遠なる神がこの世に来られたのだ。
この出来事を人間はどう受けとめたか。「その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった」(9-10節)。死によってすべてが終わるという諦めが人間を覆い尽くしている。人間はそのような闇に圧倒され、光に目を向けられなくなっている。
しかし、神は人間が闇に留まることを良しとされなかった。「言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた」(12節)。罪に染まった闇の子らに、神は信仰を与え、光の子とする約束をされた。この約束こそクリスマスの恵みだ。
クリスマスとは、罪の中にある人間が神の子として新たに生まれる時だ。今年のクリスマス、洛北教会には二人の受洗者が与えられた。洗礼は、人間の知恵や力ではなく、ただひたすら神への全き信頼をもって新しく生まれ直す出来事だ。このことは、完全な清さと正しさを湛えた神の御子がこの世に来られ、十字架によって地上の罪をことごとく拭い去られたからこそ実現されたのだ。
神がたった独りの御子をこの世に遣わされたことは、それほどまでに人間を愛しておられるという神の愛の証しに他ならない。この神の愛の働きによって、我々は初めて愛に生きる者とされる。
この世の闇がどんなに深くとも光に勝つことはできない。この光が死を滅ぼし、永遠の命を勝ち取った命の源だからだ。世界中至るところで闇が勝利し、この世は闇に覆われているように見えるかも知れない。しかし、命の源である光が消えることは決してない。
主は言われた。「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」(ヨハネ16:33)。死からよみがえられた主の勝利の光が我々をいつも照らしている。
説教:「主イエスの御名によって」
聖書朗読:使徒言行録19章1〜10節
説教者 : 北川善也牧師
パウロは、大都市エフェソで洗礼者ヨハネの弟子たちのグループと出会った。彼らはかつて、間もなくやって来る救い主を指し示しつつヨハネが行っていた「悔い改めの洗礼」運動を受け継いでいた。ところが、彼らはヨハネ自身が危惧していた通り、ヨハネを師と仰ぐところで止まってしまった。それゆえ彼らは、イエス・キリストを信じ、その御名によって受ける洗礼に与っていなかったのだ。
彼らに対するパウロの最初の質問は大変意義深い。「信仰に入ったとき、聖霊を受けましたか」(2節a)。使徒言行録において「聖霊」は、常に教会を立ち上げていく力の明確なしるしとして登場する。
彼らは、「いいえ、聖霊があるかどうか、聞いたこともありません」(2節b)と答えた。まだペンテコステの出来事が起こって間もない時期であったにもかかわらず、人々の聖霊に対する意識は弱かった。現代の教会はどうだろうか。我々も、自分が聖霊なる神によって信仰へと導かれ、また日々信仰を増し加えられているという意識を弱らせてはいないだろうか。
このことは、続くパウロの質問に示されているように、洗礼と大きく関わる問題だ。パウロは、「それなら、どんな洗礼を受けたのですか」(3節)と尋ねた。彼らは、ヨハネの洗礼を受けたとだけ答えた。彼らは数年前、実際に洗礼者ヨハネから洗礼を受けたのかもしれない。こうした人々によって、ヨハネの弟子たちによる運動というものが起こった。
彼らは、ヨハネが告げていた言葉をそのまま語り続けた。つまり、彼らは依然として人々に悔い改めを求め、やがてメシアが来られる、すなわち救い主はまだ来ていないと告げ続けていたのだ。
彼らが行っていたのは、洗礼というよりもグループ加入のための「手続き」であり、ヨハネが告げていた「聖霊と火」による洗礼とは異なるものだ。パウロは、そのことを説明し、救い主が既に来られ、救いの御業は成し遂げられていることを告げた。すると、彼らは救い主イエス・キリストを信じ、その御名による洗礼を受けたいと願い出るようになった。
この出来事をきっかけとして、パウロのエフェソ伝道は本格的に開始された。そして、彼はこれまで同様、エフェソのユダヤ人会堂を足掛かりとして、熱心に神の国の福音を宣べ伝えた。
ところが、そこにいたユダヤ人数名が頑なにパウロを拒み、大勢の前で非難したため、彼はティラノという人が管理していた講堂に場所を移した。ここは、おそらく哲学者たちによって日頃から用いられていた所だったのだろう。
どの町でも反対者による迫害や暴動に巻き込まれ、その度にそこでの伝道を断念して他の町に移動するという生活を繰り返してきたパウロだったが、こうしてエフェソ伝道に時間と労力を注ぎ込むことが出来るようになり、以後約三年にわたってエフェソに留まった。そして、このエフェソ伝道によって、「アジア州に住む者は、ユダヤ人であれギリシア人であれ、だれもが主の言葉を聞くことになった」(10節)のだ。
パウロは、ユダヤ人会堂を伝道拠点とすることが出来なくなったが、ティラノの講堂という場所を与えられ、そこでの福音伝道が実を結んでいった。彼は、かつて聖霊によってアジア州での伝道を禁じられた(16:6)ため、エフェソに辿り着くことすら出来なかったが、今回はそれが可能となった。
このことは、主の御業が人間の思うままになるようなものではなく、主御自身によって定められた時に進められていくものだということを示している。こうして福音は、民族や国境を越え、着実に世界へと広がっていくのだ。