先週の説教 -バックナンバー-
15年2月のバックナンバーです。
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説教:「無秩序な集会」
聖書朗読:使徒言行録19章28〜40節
説教者 : 北川善也牧師
エフェソの銀細工師デメトリオらは、女神アルテミスを祭る神殿の模型を造って、人々に売りつけては莫大な利益を得ていた。
だが、この町で二年以上にわたって続けられたパウロの伝道により、多くの人々が主イエスを信じるようになると、人々は偶像に見向きもしなくなり、銀細工師たちは食い扶持を失う危機に瀕した。
そこで、デメトリオは仲間たちを集め、これ以上パウロに伝道を続けさせてはならないとけしかけた。すると、偶像崇拝者や銀細工師を始めとする偶像の制作や販売を生業にしている人々は激怒し、野外劇場になだれ込んでいった。
人々は、留守中のパウロに代わり、伝道旅行の同行者ガイオとアリスタルコを捕らえ、野外劇場で二人を取り囲んだ。パウロは二人を救おうとして、身の危険を顧みず群衆の中に飛び込もうとしたが、そんなパウロを押しとどめた人々がいた。それは、エフェソ伝道によって与えられた彼の弟子たちであり、アジア州の高官である彼の友人であった。そして、この騒動を鎮めるのに決定的な役割を果たす町の書記官が登場する。
「町長」に等しい役職である書記官は、キリスト者たちが「神殿を荒らしたのでも、女神を冒涜したのでもない」(35-37節)ことを強調した。彼はキリスト者ではなかったが、町全体の行政責任者としてキリスト者を擁護する発言をし、人々にもこのような認識を共有するよう説得したのだ。
書記官はさらに、このような「無秩序な集会」がローマ帝国の表沙汰になれば、ローマの法律によって治安を乱す罪に問われ、厳罰に処せられる可能性を示唆した。
「あれやこれやとわめき立て」「混乱するだけで、大多数の者は何のために集まったのかさえ分からなかった」(32節)という集会は、まさに無秩序そのものだった。人々は、女神アルテミスへの信仰心から集まっていたが、女神は彼らに平安を与えるのではなく、逆に混乱をもたらす存在だったのだ。
真の神である御方は、人間がこのような状況に置かれることを大いに悲しまれる。「群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた」(マタイ9:36)。
主イエスは、そんな人々に次のように言われた。「わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる。わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる」(ヨハネ10:14-16)。
キリスト者ではなかった書記官の言葉が、激しい迫害にさらされていたキリスト者たちを守り、混乱状態のまま騒ぎ続ける人々を鎮めるものとなった。聖書は、騒動が収まり、集会が解散したところで終っている。その後、この事件がエフェソの町にどのような影響を及ぼしたかはわからない。元のように、女神アルテミスを信じる生活に戻った者たちも多くいたことだろう。しかし、この騒動を鎮めるために、エフェソの町長とも言うべき人物が、図らずもキリスト教を公認するお墨付きを出したような出来事がここで起こった。
後にパウロの伝道によって建てられたエフェソ教会は順調に成長・発展し、そこで信仰生活を続ける信徒たちのために「エフェソの信徒への手紙」が書かれた。このようにして、真の救い主を信じる者たちを、神は不思議な仕方で守り、その教えを世界中に広げるために生きて働かれる。それゆえ、我々は何も恐れず福音伝道の働きに取り組むことが出来るのだ。
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説教:「パウロの船出」
聖書朗読:使徒言行録20章1〜6節
説教者 : 北川善也牧師
パウロは2年以上にわたりエフェソの伝道に従事した。それによって生まれたエフェソ教会は、小アジア一帯の伝道拠点として重要な位置を占めるに至る。
だが、銀細工師デメトリオたちの「ただならぬ騒動」(19:23以下)により、パウロのエフェソ伝道は幕を閉じることとなってしまう。
騒ぎが収まるとパウロはエフェソの人々に別れを告げ、海を渡ってマケドニアへ旅立つ。この旅はエフェソでの騒動が原因に思えるが、パウロ筆の「コリント書」によれば、ちょうどこの頃コリント教会に起こった危機的状況を解決するためだったことがわかる。
パウロは、マケドニアを「巡り歩き、言葉を尽くして人々を励ましながら、ギリシアに来て、そこで三か月を過ごした」(2-3節)。ここで「ギリシア」と言われているのはコリントのことだ。
だが、コリント滞在の詳しい状況説明はなく、パウロは「シリア州に向かって船出しようとしていた」(3節a)。ここで何があったか不明だが、「ユダヤ人の陰謀があったので、マケドニア州を通って」(3節b)陸路を行くこととなる。
この旅には7人の同行者が加わった(4節)が、彼らはいずれもパウロの伝道によってキリスト者とされ、さらに伝道者としての志を与えられた諸教会の代表者たちだった。彼らの任務は、それぞれが属する教会とその周辺教会から、エルサレム教会のために集められた献金を届けに行くことだった。
だが、この旅もこれまでの伝道旅行同様、試練の連続だった。パウロの手紙には、「兄弟たち、アジア州でわたしたちが被った苦難について、ぜひ知っていてほしい。わたしたちは耐えられないほどひどく圧迫されて、生きる望みさえ失ってしまいました」(Uコリ1:8)というような言葉が複数見られ、この旅がいかに困難なものだったかということが推察される。
だが、パウロはこのような状況にあっても伝道を怠らず、牧会に心を砕いた。エフェソを出発する際、パウロは「弟子たちを呼び集めて励まし」(1節)、牧会的配慮を示した。そして、パウロは「言葉を尽くして人々を励ましながら」(2節)各地を巡り歩いた。
コリントでは「ローマ書」を執筆し、まだ見ぬローマの教会員たちの牧会にも心を砕いた。その手紙の中でパウロは、「今は、もうこの地方に働く場所がなく、その上、何年も前からあなたがたのところに行きたいと切望していたので、イスパニアに行くとき、訪ねたいと思います。途中であなたがたに会い、まず、しばらくの間でも、あなたがたと共にいる喜びを味わってから、イスパニアへ向けて送り出してもらいたいのです。しかし今は、聖なる者たちに仕えるためにエルサレムへ行きます」(ローマ15:23-25)と述べている。
ここには、「地の果てに至るまで、わたしの証人となる」(使徒1:8)との主の御言葉通り、福音の火をどこまでも携えて行く伝道者の姿が示されている。騒動や陰謀というマイナスの力、さらにはコリント教会の危機という否定的な状況に直面しながら、いよいよ伝道・牧会の炎を高く燃え上がらせたのがパウロだった。
誕生後まだ間もない教会は、真の救い主から引き離そうとするサタンの力に対して脆い存在だった。しかし、このような状況に立ち向かうためには、各地に立てられたキリストの御体なる教会が、信仰によって一つとなり、確固たる土台の上に立ち続けるしかないとパウロは確信していたのだ。
この確信は、現代の教会に連なる我々にとっても大変重要だ。各地の教会が、パウロを通して語られた神の御言葉によって成長していったように、我々も御言葉に聴いて成長していく信仰生活をますます深めていかねばならない。
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説教:「騒ぐな。まだ生きている」
聖書朗読:使徒言行録20章7〜12節
説教者 : 北川善也牧師
パウロのトロアス滞在も終わりに近づいた「週の初めの日」、すなわち日曜日に人々はパウロと共にパンを裂くため集まっていた。ここで「パン裂き」と呼ばれているのは、我々が聖礼典としている聖餐のことだ。初代教会は、これを礼拝の中心に置き、礼拝そのものが「パン裂き」とも呼ばれていた。教会は、主が十字架におかかりになる前の晩、弟子たちと共に与ったパンとぶどう酒による最後の晩餐を大切に覚え続けてきた。
パウロたちは、階上の部屋で礼拝していた。パウロは、出発を前にしてもう二度と会えないかもしれないトロアスの信徒たちに深い愛をもって訣別説教を語った。
彼は、熱心さのあまり時も忘れて語り続けたので、外はいつの間にか暗闇となっていた。対照的に、部屋はたくさんの灯がともされ、その火が発する暖かさとパウロの説教による熱気に満ちていた。
大勢の聴衆の中にいたエウティコという若者は、室内の熱気から逃れ、外気に触れるためか3階の窓に腰掛けてパウロの説教を聞いていたが、「ひどく眠気を催し、眠りこけて」真っ逆さまに落ちてしまった。人々が慌てて駆けつけた時には、彼は既に息絶えていた。
そこにパウロが降りてきて、若者の上に身をかがめ、彼を抱き上げながら「騒ぐな。まだ生きている」と言うと若者は生きかえった。この時、一体何が起こったのか。
確かなことは、パウロが人間の命をも統べ治めておられる神に全面的な信頼を置き、この御方の御業が完全なものであることを心から信じていたということだ。
若者の思いがけない死に直面した人々は慌てふためいたが、パウロは落ち着き払って「騒ぐな。まだ生きている」と言って息絶えた若者を抱き上げた。この冷静さの背後に、活ける真の神に対する絶対的な信頼とこの御方からもたらされる尽きることのない希望に生かされている人間の姿がある。このような信仰こそが若者を生きかえらせる力となったのだ。
また、「騒ぐな。まだ生きている」というパウロの言葉は、直接的には若者の死を前にしてうろたえるばかりの人々に向けられたものだったが、それはパウロ自身の確信を表明する言葉でもあった。
パウロは、これまでの伝道旅行で多くの町々を訪問したが、彼がキリストの福音を宣べ伝える所ではどこでも騒動が巻き起こり、その度に伝道の中断を余儀なくされた。しかし、彼はそのようにして続けられる旅にあっても希望を失わず、福音伝道に取り組み続けた。このように打ち倒されても、打ち倒されても、何度でも立ち上がっていくパウロの力の源は、十字架の死に勝利し、死者の中からよみがえられた御方、また死人をも生きかえらせる絶対的な力を持った御方、主イエスに他ならなかった。この神に対する揺るぎない信頼が絶望的な状況を変えたのだ。
我々が生きている世の中も絶望的な状況に見えるかもしれない。そして、我々はそのような世の中で、信仰を持ちながらも右往左往し慌てふためく存在だ。
しかし、人間の目には絶望的に映る状況の中で、「騒ぐな。まだ生きている」と言ったパウロのように、我々も神に全面的な信頼を置き、希望をもって歩んでいきたい。我々がそのように恐れることなく歩むことのできる根拠は、真の救い主イエス・キリストにこそある。主は、「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない」(ヨハネ11:25-26)と約束してくださった。
だからこそ、汲めども尽きぬ命の泉から水を受ける者は、死をも恐れず、大いなる希望をもってこの世の旅路を歩むことができる。
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説教:「急ぎの旅」
聖書朗読:使徒言行録20章13〜16節
説教者 : 北川善也牧師
パウロは、エルサレムに向かって急ぎの旅をしようとしていた。彼は、「アジア州で時を費やさないように、エフェソには寄らないで航海することに決め、……できれば五旬祭にはエルサレムに着いていたかったので、旅を急いだのである」(16節)。五旬祭というユダヤ人の祭りは、パウロたちにとって特別な意味を持っていた。
かつて、昇天された主イエスを見送った弟子たちが心を合わせて祈っていた時、聖霊降臨の出来事が起こり、彼らは口々に神の偉大な御業について語り始めた。「教会の誕生日」とも呼ばれるこの出来事は、エルサレムで五旬祭が祝われている時に起こった。そして、この祭りのラテン語名「ペンテコステ」が聖霊降臨を意味する言葉として使われるようになった。
パウロは、伝道旅行で巡った各地の教会より献げられたエルサレム教会のための献金を、初代教会が誕生した記念すべき日である五旬祭までに届けたいという切なる願いを持っていたのだろう。
しかし、この旅の始めにパウロはいささか不可解な行動を取る。他の同行者たちを船に乗り込ませ、自分一人だけ徒歩でトロアスからアソスまで約32qの険しい山道を行くことにするのだ。
五旬祭は、過越祭から50日後に行われることがその名の由来となっており、20章5節以下によればパウロは過越祭をマケドニア州のフィリピで過ごしたと推定される。そうだとすると、この時、既に過越祭から10日以上経過しているから、五旬祭までにエルサレムへ着くためには残り40日もなかったということになる。当時の船旅は、ただでさえ時間が不確定だったからこの残り日数でエルサレムまで行くのは、決して余裕があるとは言えない状況だった。
そのような状況の中でパウロはあえて同行者たちと別れ、一人徒歩で行くことにした。これまでの伝道旅行において、パウロが福音伝道の働きに取り組むや否や常に妨害が起こり、命の危険に曝されることさえしばしばあった。しかし、いかに困難な状況であろうとも彼は決して逃げ出さず、力一杯伝道に取り組んだ。この「筋金入り」とも言える決意の固さは、パウロの性質から来るものではなく、ただ聖霊の助けによってもたらされたものに他ならなかった。
パウロは、一人黙々とトロアスからアソスまでの山道を辿りながら、これから自分が向かおうとしているエルサレムでどんなことが待ち受けているか思い巡らしたことだろう。パウロ自身、「今、わたしは、“霊”に促されてエルサレムに行きます。そこでどんなことがこの身に起こるか、何も分かりません」(使徒20:22)と述べているように、エルサレムではこれまでの伝道旅行で受けたどんな迫害よりも厳しい出来事が待ち受けているのは間違いなかった。
パウロの心には、そんな大きな不安がのしかかっていた。この思いを静め、エルサレムへと向かう決意を固くするためには、一人旅の道中、主の十字架を思い、この主にひたすら従い行く信仰を一層増し加えられるために黙想することが必要だった。パウロが、トロアスからアソスまであえて徒歩で行くことにしたのは、主が絶えず共にいてくださるという確信を新たにするためだったのだ。
我々が生きるこの世界には、パウロの伝道旅行同様、常に騒動があり、陰謀があり、突発的な出来事がある。このような状況に直面した時、我々はある時は絶望し、ある時はあきらめ、ある時は慌てふためいてしまう。しかし、そのような時にこそ、パウロのように静かに御言葉を求め、祈り、黙想の時を持つことが必要だ。
我々もパウロに倣い、静かに御言葉に触れ、祈り、黙想する時をこのレントにこそ大切にしたい。
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