日本基督教団 洛北教会

2022年 教会標語「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」(1テサロニケ5:16-18)

先週の説教

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2022年6月26日 三位一体後第2主日

説教:「信仰によって」
聖書朗読:ヘブライ人への手紙11章32〜48節
説教者 : 岡本知之牧師

説教黙想 「出会いを生きる・出会いに生きる」

 11章全体にあげられている信仰の実例からして、著者がいう「信仰」とは何かを理解することができます。それは、神の約束によって終わりの時に与えられると望んでいる栄光、まだ見ていない終末的な栄光の事態を確かなリアリティーとして、現在を生きる生き方に他なりません。
 そこで大切なことは39節の「この人たちはすべて、その信仰のゆえに神に認められながらも、約束されたものを手に入れませんでした。」という言葉です。考えようによっては「じゃ〜駄目じゃん」と思われる方もあるでしょう。だって約束のものを未だ手に入れていないのですから。しかし実は、ここにこそ約束の信仰的側面における意味があるのです。
 この文書の筆者は「信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉によって創造され、従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことを悟るのです」(3節)と言います。この根源的な原理をしっかりと把握し、見えないものをリアリティーとする「信仰」を生きることの大切さを、ここで私たちは知ることになります。
 信仰は私たちの所有物ではありません。信仰とは「関係」であり、信仰生活とは「関係を生きること」なのです。ここに「約束されたものを未だ手に入れていない」ことの意味があります。「手に入れていない」からこそ、更なる「変容・脱皮・成長(要するに<メタモルフェーゼ>」があるのです。「信仰」とはこの「メタモルフェーゼ」を神との関係の中で日々体験しつつ生きることに他なりません。
 神も信仰も完全に私の所有物となることはありません。しかし私たちはそこでこそ「所有欲」から解き放たれて、他者との「出会い」をこそ生きる者とされていくのです。このテーマに関しては、キルケゴールの『死に至る病』を推薦図書とさせて頂きます。

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