日本基督教団 洛北教会

2022年 教会標語「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」(1テサロニケ5:16-18)

先週の説教

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2022年1月23日 顕現後第3主日

説教:「愛の実現」
聖書朗読:ヨハネの手紙一2章3〜11節
説教者 : 岡本知之牧師

説教黙想 「人の愚かさは止めどなく」

 ヨハネ第一の文(ふみ)は、本書は新約聖書の中で「罪」という用語が(その長さの割に)もっとも多く出てくる文書です。長老ヨハネ(伝統的にヨハネ文書の筆者をこう呼びます)がこの手紙を書いた時、彼の共同体は分裂の危機に直面していました。自分は光の子であり、自分には罪も影もないと考える人々がいて、これら自分を神とする人間の本性的な罪の深さを痛感していることがうかがわれます。出て行った者たちは、長老から見れば、自分の理解とか悟りを義として、十字架の上に血を流されたイエスを「肉体をとって来られた御子キリスト」であるとしない、すなわち自分の罪のための贖いとしない偽り者です。十字架の上にイエスが血を流された事実を見た長老(ヨハネ19章34〜35節)にとっては、真理と偽りの分岐点はこの一点にあります。
 長老は、神を知る者として光の中を歩む者は、「彼の誡め」を守るべきことを説いて、「彼の内にとどまっていると言う者は、あのお方(イエス)が歩まれたように、その人自身も歩まなければなりません」と言います(2章3〜11節)。この箇所はほとんど「彼」という代名詞を用いて語られていますが、この「彼」が神を指すのかイエスを指すのか解釈が分かれています。しかし、「神の誡め」と「イエスの誡め」は違うものではなく、「イエスの中にいる」ことによって「神の内にとどまる」ことになるのですから、あまり厳密に区別する必要はないでしょう。長老は「彼の誡め」を「あなたたちが初めから受けていた古い誡め」であると同時に、今この状況で改めて書き送らなければならない「新しい誡め」とし、兄弟を愛することこそ「彼の誡め」であるとします。これは、自分の霊的理解を理由にして他の兄弟たちの信仰を軽蔑・批判し、交わりから出て行った者たちを念頭において書いていると考えられます。

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