日本基督教団 洛北教会

2020年 教会標語「わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。」(ヘブライ人への手紙8章10節)

先週の説教

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2020年8月9日 聖霊降臨節第11主日

説教:「生き方を変える」
聖書朗読:フィリピの信徒への手紙第2章5〜11節
説教者 : 岡本知之牧師

説教黙想 「救助には、連係プレーが必須です」

 5節はこのままだと、「キリストイエスを模範として、以下の事を心がけよ」と言う意味にしか取れない。しかし原文の後半は「それはまたイエス・キリストの中で、」でという動詞のない一文であり、共同訳は「見られる」を補って訳している。前半の「心がけよ」も意訳であり、原文に即して言えば「このことをあなた方の心の中で思え」となる。何を思うか。6〜11節までのキリストの低さをである。
 つまりこの箇所は「上」にある「模範」を語っているのではなく、「下」にある「恵み」を語っているのである。『イエスの御名によって、天上のもの、地上のもの、地下のものすべてが膝をかがめ、すべての舌が「イエス・キリストは主である」と告白して、父なる神が崇められる』に至ったのは、「下にある恵み」即ち「キリストの低さ」の故であったと言うのである。以下はその恵みの構造である。
 イエスは自分を空にする。(7節) ⇔ 神は与える。(9b節)
イエスは自分を低くする。(8節) ⇔ 神は高く上げる(9a節)
 つまり、自分を「空にする」イエスに神が「与え」、「低くする」イエスを神が「高くする」のである。自分を無にし、神の身分を捨てて人となったイエスは、更に十字架の死に至るまで己を低くした。そのイエスに神は「すべての者にまさる名」をお与えになった。それはすべての者がその名の前にひざまずき、「イエス・キリストは主である」と告白するためであった。此処に述べられているのは父と子の「救いの連係プレー」である。救われるのは子犬や子猫ではない(犬や猫も大事ですが)。救われるのは人間である。だから神の独り子が、その命を懸けて下さったのである。その救いとは真の人生の主を見いだし、イエスをキリストであると告白する事である。

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