先週の説教 -バックナンバー-
15年3月のバックナンバーです。
15年3月のバックナンバーです。
説教:「命を賭けて伝えたいこと」
聖書朗読:使徒言行録20章17〜24節
説教者 : 北川善也牧師
ミレトスは、ギリシャ哲学誕生の地とも言われる文化の香り高い、また海上交易が大変盛んで経済的にも豊かな町だった。パウロは、この町にしばし立ち寄り、そこにエフェソ教会で指導的な役割を果たしている長老たちを招いた。エフェソ教会は、パウロが伝道旅行で初めて長期間の滞在を果たし、じっくり伝道活動に取り組んだ地の思い入れ深い教会だった。しかし、今回の航路からパウロたちはエフェソを外した。それでいてミレトスに着いてからエフェソへ使者を送り、長老たちをミレトスまで呼び寄せたのだ。
ミレトスの真北に位置するエフェソまでは陸路で約60km離れていたから、ミレトス・エフェソ間の往復は少なく見積もっても三日間を要した。エルサレムへの「急ぎの旅」をしていたパウロにとり、このような時間の用い方は非効率的としか言えない。しかし、この時間は、エルサレム教会が置かれている現状からして、パウロには欠くことが出来ないものだった。
パウロは言った。「今、わたしは、“霊”に促されてエルサレムに行きます。そこでどんなことがこの身に起こるか、何も分かりません。ただ、投獄と苦難とがわたしを待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でもはっきり告げてくださっています」(22-23節)。エルサレムの初代教会は、創立当初から激しい迫害を受けていたが、それはしばらく時を経た今も依然として変わらなかった。
つまり、エルサレム訪問は殉教の覚悟を必要とするものだったため、パウロはエフェソ教会の人々に訣別説教を送ることにしたのだ。それは次の言葉で始められた。「アジア州に来た最初の日以来、わたしがあなたがたと共にどのように過ごしてきたかは、よくご存じです。すなわち、自分を全く取るに足りない者と思い、涙を流しながら、また、ユダヤ人の数々の陰謀によってこの身にふりかかってきた試練に遭いながらも、主にお仕えしてきました」(18-19節)。
ここで言われている「アジア州」とはエフェソのことだ。パウロがまさに命懸けで取り組んだエフェソ伝道は、人間の力を超えた、聖霊の助けによって支えられた業に他ならなかったことが示されている。それに続き、22節以下において、今回のエルサレム訪問も彼自身の判断ではなく、聖霊の迫りによって与えられた決心であることをパウロは告げているのだ。
このパウロによるエルサレム訪問が教会の歴史にもたらした大きな意味を、我々は後になって知ることとなる。パウロのこの行動を通して異邦人教会の窓口が世界に向かって大きく開かれ、全世界伝道の土台が築かれていくのだ。
パウロは、「自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません」(24節)と言っている。ここには、神の恵みを語り続けることがどれほど重要であるかということだけでなく、それがどんなに幸いな働きであるかも示されている。
パウロは、エルサレムの初代教会に諸教会からの献金を届けることも大切な使命と考えていた。彼は、その使命が決して孤独な業ではないことも、献金を送ったエフェソ教会の長老たちを前にして語ることで強く感じることが出来ただろう。自分は、神の恵みの御業のために働かせていただくことが出来る。今、自分の目の前にいる人々こそ、この働きが人間の業ではなく、神御自身の御業であることの何よりも確かな証しだ。パウロはそのような思いを与えられ、エルサレムへと向かう不安に打ち勝ち、喜びと希望をもって託された働きに一層尽力していった。
←クリックすると礼拝の録音が聞けます。
説教:「受けるよりは与える方が幸いである」
聖書朗読:使徒言行録20章25〜38節
説教者 : 北川善也牧師
パウロはイスラエルの都、エルサレムへと向かう旅の途上にあった。この旅は、パウロが三回にわたって行った伝道旅行の集大成と言ってよいものだった。
かつてパウロは厳格な律法主義者であり、キリスト者を根絶やしにしたいと思うほどキリスト教を憎んでいた。彼は、伝道者ステファノの殺害に賛成し、ステファノが石打ちによって殺されるや否やキリスト者たちが逃げ去っていくのを見てほくそ笑んでいた。
しかし、迫害によって散らされたキリスト者の一部は、異邦の地アンティオキアに居を構え、そこで信仰生活を再開した。アンティオキアの教会は、やがてこの地の信仰共同体を支え、積極的に伝道を進める拠点教会となった。
その噂を聞いたエルサレム教会は、バルナバを遣わしてアンティオキアの信仰者たちを励まし、彼らが一層伝道に邁進出来るよう取り計らった。この時、バルナバが伝道協力者として選び出したのは、何とあのパウロだったのだ。
パウロがダマスコのキリスト者迫害に向かっている時、神御自身が彼に近づき、回心を与える出来事が起こった。彼は、この体験によって迫害者からキリスト者へと生まれ変わり、しばらく故郷タルソスで生活していた。この間の状況は、使徒9章以下に詳しい。
バルナバはパウロと共に、小アジア地方の地中海沿岸を巡回伝道していた。ところが、そんな旅が次第に計画通り進まなくなっていく。まずバルナバとパウロが同行者の処遇を巡って激しく衝突し、別行動を取ることになる。パウロは新しいパートナーと伝道旅行を再開したが、今度は行く先々で「御言葉を語ることを聖霊から禁じられる」という出来事が起こり、彼らはとうとう小アジア伝道が不可能となってしまう。その後、パウロは幻を示され、海を越えてマケドニアに渡るが、そこでの伝道は全く振るわなかった。
このように、パウロの伝道旅行は順風満帆に進められたわけではなく、かえって困難ばかりが待ち受けているような状況だった。どの町でも、パウロが神の救いの御業について語り始めると何人かは聞く耳を持ったが、ほとんどの人々が反抗的であり、口汚くののしって来る者さえいた。
聖なる清い御言葉である神の救いの言葉に対して、我々の中には飢え渇きをもって求める思いがある反面、どこまでも自分中心に生きようとする罪の汚れも根深く残っており、その罪の力が神の言葉に必死で抵抗しようとするのだ。
しかし、パウロは口汚くののしられ、時には石を投げつけられるような目に遭っても、決して福音伝道の働きをやめなかった。
自分の敵である人々から激しい迫害を受け、何度打ち倒されようともパウロが立ち上がり続けたのは、どうしてだっただろうか。それは、彼が「受けるよりは与える方が幸いである」という主イエスの御言葉に生きていたからだ。
パウロは、自分に降りかかってくる苦難よりも、その先にいるまだ真の救い主イエス・キリストと出会っていない人々の存在に目を向けたのだ。彼らは、真の救いを知らぬゆえ、自分が何をしているのかわからないのだ。だからこそ、自分は全身全霊をもって真の救い主を宣べ伝えねばならない。各地に主の教会を立て、主の民を増し加えねばならない。これが、あのダマスコ途上の回心以来、パウロに生涯を懸けてなすべき使命として与えられた働きだった。
御子イエス・キリストの十字架という弱さと愚かさの象徴が、人間の思いを越え、全人類の救いを成し遂げる出来事となったように、神の御計画は、苦しみや悲しみという「躓きの石、妨げの岩」を通して粛々と進められていく。
←クリックすると礼拝の録音が聞けます。
説教:「ティルスからの出帆」
聖書朗読:使徒言行録21章1〜6節
説教者 : 北川善也牧師
パウロは、第三回伝道旅行において、これまでで最も長期間にわたり滞在したエフェソを離れ、マケドニア経由で小アジアの地中海沿岸を旅していた。この旅は、その目的地エルサレムでのパウロ逮捕によって終結することとなる。
1節に、「人々に別れを告げて」とあるが、ここで「別れ」と訳されているのは、「引き裂く」という意味を含む言葉だ。主イエスは、十字架を前にした苦悩の中、ゲツセマネの園で祈られた時、弟子たちと離れたところで一人祈られた。その時の「離れて」というのは、この箇所で「別れて」と訳されているのと同じ言葉だ。
つまり、ここでパウロが人々に「別れ」を告げた時の心境は、自分の判断で離れていくというより、むしろ意志とは反対に引き裂かれるような思いで離れざるを得ないというものだったのだ。
パウロは、ミレトスの町にエフェソ伝道で生み出された教会の長老たちを招き、訣別説教を語った。その中で、彼は自分がいついかなる時も聖霊の助けによって福音伝道に取り組むことが出来たと述べている。この説教を語り終えると、パウロは愛する教会の人々に別れを告げ、船に乗り込んでいくが、これも彼の個人的な決断ではなく、聖霊によって示された指針によるものだった。こうしてパウロは、パタラの地からフェニキア行きの船に乗り換え、キプロス島を通過して、「シリア州に向かって船旅を続けてティルスの港」で途中下船した(3節)。
パウロは、この地でもキリストの弟子たちを探し出し、彼らと共に七日間過ごした。「彼らは“霊”に動かされ、エルサレムへ行かないようにと、パウロに繰り返して言った」(4節b)。パウロがエルサレムに行けば迫害を受けるのは間違いない。場合によっては殺されてしまうかもしれない。パウロは福音伝道という重要な使命を託されているのだからエルサレム行きはやめるべきだ。それがティルスの信仰者たちの思いだった。
しかしパウロには、たとえ殉教することになってもエルサレムに行かねばならないという固い決意が与えられていた。それは、言うなればパウロにとっての十字架の道だった。そのようなパウロの思いを知り、ましてやそれが神によって託された働きであるならば、と受け止め直した信仰者の群れはパウロを見送りに来た。
その別れの場面は大変印象的だ。「共に浜辺にひざまずいて祈り、互いに別れの挨拶を交わし」た(5-6節)という彼らの姿は、礼拝者のそれに他ならない。それゆえ、その後パウロたちは船で出発し、ティルスの信仰者たちは何事もなかったかのように各自の家に戻って行くが、そこには礼拝を通して何よりも大切なものが残された。それは、いかなる時も主が共にいてくださるという信仰だ。
パウロは、自らの手紙の中でしばしば「キリストにありて」という言葉を用いている。この言葉の原語により近い訳は、「キリストに抱かれて」だ。そして、これはパウロが礼拝を通してもたらされる喜びを表現した言葉だった。
主は、確かにわたしに一つの使命を与えておられる。それは、人々から見ればやめた方がよいことであり、自分としても選びたくない道であるかもしれない。しかし、いつでもわたしが共にいると約束された主は、担いきれない道など決してお与えにならないはずだ。
このように、パウロは伝道旅行において人々にキリストの福音を宣べ伝えながら、実は彼自身が絶えずキリストに抱かれて人生の旅路を歩んでいるという信仰を深めて行くことが出来たのだ。
我々もそれぞれ船に乗り込み、めいめいの航路を進んで行くが、その旅路は最後まで主が共にいてくださるゆえ平安に満ちている。
←クリックすると礼拝の録音が聞けます。
説教:「主の御心が行われますように」
聖書朗読:使徒言行録21章7〜14節
説教者 : 北川善也牧師
パウロたち一行がカイサリアに到着し、フィリポ邸で数日滞在していた時、ユダヤからアガボという預言者がやって来た。彼は、パウロの帯を取り、それで自分の手足を縛って言った。「聖霊がこうお告げになっている。『エルサレムでユダヤ人は、この帯の持ち主をこのように縛って異邦人の手に引き渡す』」(11節)。
このアガボの象徴的行為を伴う預言を聞いた信仰者たちは、皆必死でパウロのエルサレム行きを止めようとした。しかし、パウロの決心は全く変わらなかった。彼は、以前行った訣別説教の中で次のように語っている。「今、わたしは、“霊”に促されてエルサレムに行きます。そこでどんなことがこの身に起こるか、何も分かりません。ただ、投獄と苦難とがわたしを待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でもはっきり告げてくださっています。しかし、自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません」(20:22-24)。
パウロは、ダマスコ途上で回心を経験した際、主から次のような言葉を与えられていた。「あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。わたしの名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、わたしは彼に示そう」(9:15-16)。
この時には、それがどういう意味なのか誰にもわからなかったが、パウロが聖霊の導きにより伝道者としての歩みを進めていくにつれ、その意味は徐々に明らかとなっていった。パウロのエルサレム行きは、彼自身の思いから出た決断ではなく、神の御計画の内に定められたことだったのだ。
そして、パウロには神の御旨を問う真剣な祈りによって、その道を行くという決断が与えられた。そのようにして、自分という存在を通して主の御業が行われることを知ったからこそパウロは大きな喜びと希望に満たされたのだ。
パウロは、そんな自分の心境を次のように語っている。「主イエスの名のためならば、エルサレムで縛られることばかりか死ぬことさえも、わたしは覚悟しているのです」(13節b)。ここで言われている「主イエスの名のため」は、我々が祈りの最後に言う「主の御名によって」と同じ言葉だ。
「主イエスの名」とは、主御自身のことであり、このように言うことで、パウロは主のためにエルサレムへ行くことが何よりも大きな喜びであり、そのためならたとえ命を失ったとしても悔いはないという信仰告白をしているのだ。
そんなパウロの言葉を聞いた者たちは、もはや「主の御心が行われますように」と言って、彼の決断を受け入れるしかなかった。しかしこの時、人々は決して諦めてしまった訳ではなく、神の御心を積極的に肯定し、それを賛美する思いからこのように言ったのだ。
「主イエスの名のために」。これこそがパウロを支え続けてきた原動力だった。そしてパウロの周りには、彼を用いてなされる主の御業に目を向け、「主の御心が行われますように」との祈りをもって支える信仰者の群れがあった。
この「主の御心が行われますように」という言葉は、十字架の御苦しみをたった一人で担われた主イエスの、「わたしの願いではなく、御心のままに行ってください」(ルカ22:42)というゲツセマネの祈りを思い起こさせるものだ。
レントにあって、神の御子が誰よりも先んじてこの祈りを祈り、十字架の出来事を「御心のままに」成し遂げてくださったことを覚え、我々も信仰の先達と共に主の十字架を仰ぎつつ歩み続けたい。
←クリックすると礼拝の録音が聞けます。
説教:「エルサレム到着」
聖書朗読:使徒言行録21章15〜26節
説教者 : 北川善也牧師
教会の暦で、本日は「棕櫚の主日」にあたる。今週からいよいよ受難週に入る。そのような日に与えられた聖書箇所には、奇しくも主イエスが十字架に向けての歩みを開始すべくエルサレムに入城された時の様子とイメージが重なるような場面が示されている。
パウロが、これまで続けてきた伝道旅行の集大成としてエルサレムへ赴くことには重大な意味があった。そして、依然としてキリスト教迫害が続いているエルサレムに行くことは、死を覚悟しなければならない行動でもあった。
パウロ自身、そのような危機的状況であることは十分わかっていたが、エルサレム行きをやめなかった。彼には、既に主イエスの最後のエルサレム行きに徹底的に従っていく決意が与えられていた。
主イエスは、御自分がゴルゴタの丘で十字架におかかりになることを、父なる神の御心と受け止め、最後までその道のりを歩み通された。十二弟子との最後の晩餐を終えられた後、ゲツセマネの園でなされた祈りの時、主は「わたしの願いではなく、御心のままに行ってください」と祈られた。御自分の十字架の苦しみを通して成し遂げられる神の御計画、すなわち、すべての人間の救済のため、血の汗を流すほど祈りに集中し、神の御心を完全に成し遂げられた。パウロは、この主イエスの十字架への道行きに最後まで従う覚悟をもって歩み出したのだ。
パウロのエルサレム行きには、もう一つ重大な意味が与えられていた。十字架の死から三日目によみがえられた主イエスは、弟子たちのもとに現れ、ご自分の名による罪の赦しを得させる福音が、「エルサレムからはじまって、あらゆる国の人々に宣べ伝えられる」(ルカ24:47)と告げられた。
パウロは、この御言葉を直接聞いていないが、彼が異邦人に対する福音伝道を自らに託された使命であると固く信じたのは、主イエスのこの御言葉に基づいていた。だから、主の御言葉に忠実に従おうとするパウロの計画では、第三回伝道旅行の終着点をエルサレムとし、第四回目の伝道旅行をそこから世界の首都であるローマへと向かうものにしたかったのだ。
主に託された伝道の働きにおいて、パウロは異邦人に対する使徒となり、諸外国を巡って福音を宣べ伝え、教会を建てていった。その一方で、彼は常に初代教会であるエルサレム教会を重視し、異邦人キリスト者たちからエルサレムの貧しい信徒たちのための施しや献金を集めることにも力を注いだ(ローマ15:24、Uコリ9:12-13等)。
パウロのこのような思いは、キリストの教会はどこにあろうとも主にあって一つであり、異邦人キリスト者もユダヤ人キリスト者も一つとされているという信仰の確信から来るものだった。パウロは、このことを何とかして具体的な形で示したいと願っていたのだ。
それゆえ、ユダヤ人キリスト者がパウロに対して抱いた疑惑は全く的外れだった。しかし、パウロ自身はエルサレム教会の信徒たちの立場を重んじ、「ユダヤ人にはユダヤ人のようになって」(Tコリ9:20)、彼らの提案に従った。パウロは、こうすることによって彼らと異邦人キリスト者が一つであることを示そうとしたのだ。
しかし、このようにしてパウロが彼らの提案を受け入れたことは、結果的にはかえって彼がユダヤ人に捕えられる機会を与えることとなった。パウロ自身、そのことは予測出来ていたはずだ。
このことからも、パウロはユダヤ人によく思われようとしてその提案に従ったのではなく、むしろこれは彼自身の、教会を愛し、教会に仕えることによってキリストの苦しみに与ることを光栄とする思いから発している振る舞いだったということがわかる。
←クリックすると礼拝の録音が聞けます。