日本基督教団 洛北教会

2011年 教会標語『常に主を覚えてあなたの道を歩け。』(箴言3章6節)

先週の説教 -バックナンバー-

15年4月のバックナンバーです。

2015年4月5日 復活日(イースター)

説教:「あの方は、ここにはおられない」
聖書朗読:ルカ福音書24章1〜12節
説教者 : 北川善也牧師

   死がすべての終わりと考える人間にとって、死とは恐怖の対象以外の何ものでもない。しかし、主イエスと出会い、主によって捕らえられた者にとって死はそのような対象ではなくなる。それは、主イエスと出会った者は、死というものに対する考え方を根本的に変えられてしまうからだ。

 信仰者にとって、主イエスの十字架における死とは何か。永遠なる存在である神が、朽ちゆく肉体の姿を取ってこの世に来られ、我々人間の死を死んでくださった。それは、神の「死をもって死を滅ぼす」働きに他ならなかった。

 これこそ、主によって成し遂げられた死の意味であり、だからこそ十字架という重苦しい出来事が信仰者にとって何よりも大きな希望の源となるのだ。十字架上で息を引き取られる際、主はこう言われた。「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」(46節)。これは、神への全面的な信頼と親密さを表す祈りの言葉だ。神に対してここまでの信頼をもって祈ることができる御方は、神の御子である主イエスしかおられない。

 この祈りには、死の向こう側まで突き抜けていく永遠の命を見据えている神の御子の姿勢が示されている。また同時に、死という限界を越えていく永遠の命というものが、人間の知恵や力では容易に受け止めることができないということをも示している。

 今日与えられた聖書は、「マグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリア、そして一緒にいた他の婦人たち」が、主の復活の証人となったことを告げている。彼女たちは、主イエスといつも行動を共にし、主が十字架につけられる前に十二弟子が一人残らず逃げ去ってしまった後も、主の十字架を最後まで見届けていた。しかし、それは彼女たちの信仰が強靱だったからではなく、むしろ悲しみのあまり茫然自失となってその場に立ち尽くすしかなかったからだ。

 主イエスが墓に納められた翌日は、何の仕事もしてはならないと定められた安息日だった。彼女たちは家にこもって過ごしたが、安息日明けの朝日が昇るや否や主の御遺体が納められた墓へと向かう道を急いだ。それは、十字架から取り下ろされた主の血だらけの御遺体を一刻も早く香油できれいにしたいという思いからだった。

 ところが、墓の前に置いてあった重い石蓋は墓の脇に転がされ、墓穴がぽっかり口を開けていた。恐る恐る中へ入ると、そこに横たわっているはずの主の御遺体はなく、すがりつく対象を失った彼女たちは途方に暮れてしまった。

 そんな彼女たちの前に天使が現れ、驚くべきことを告げた。「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか」(5-7節)。

 彼女たちにもたらされたのは、冷たくなった死体との対面ではなく、主が死に勝利されたという喜ばしい知らせだった。そして、彼女たちは、それまで見つめていた墓穴の奥、すなわち死の世界に背を向け、主の復活を人々に告げ知らせる者へと変えられていく。

 これこそが、真の救いに生きる者の生き方だ。そして、これは教会の姿に他ならない。我々は、今や死を恐れる人生から解放されている。もはや虚しい墓穴の奥に顔を向け、死の暗闇を見つめる必要などない。神の御子が十字架における死と復活によって、我々の死さえも打ち破ってくださったからだ。だから、教会は主が復活された日曜日の礼拝を出発点として絶えず前進し続けるのだ。

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2015年4月12日 復活節第3主日

説教:「迫害を受けるパウロ」
聖書朗読:使徒言行録21章27〜36節
説教者 : 北川善也牧師

 エルサレムは、主イエスの御受難と十字架、そして復活が成し遂げられた場所だ。その町に主イエスがロバの背に乗って入城された時、町の人々は棕櫚の葉を打ち振り、大歓声をもって主を出迎えた。使徒言行録は、その様子を思い起こさせるパウロのエルサレム到着を記している。パウロは、主による救いの御業を自らの身をもって指し示す行動を進めていく。

 今日与えられた箇所の冒頭に登場するユダヤ人たちは、ずっとユダヤの地に留まり続けた人々ではなく、「ディアスポラ」と呼ばれる故郷から散らされていったユダヤ人のことであり、彼らは異邦の地における生活によってギリシャ・ローマ文化の影響を強く受けていた。特に「アジア州から来たユダヤ人たち」と言った場合、アジア州都のエフェソからやって来た離散のユダヤ人を指している。

 エフェソは、パウロが約三年間にわたって滞在し、強力に伝道活動を推進した町だった。その活動により多くのキリスト者が生み出されたが、同時にそれが原因でパウロはエフェソのユダヤ人から恨みを買うことにもなった。だから、「アジア州から来たユダヤ人たち」は、五旬祭を祝う巡礼者を装い、パウロをエフェソからずっと尾行し、襲撃する機会を伺っていた者たちだった可能性がある。

 そんな彼らが、この機を逃すまいとして「全群衆を扇動して」パウロを捕える。主イエスの逮捕は、過越祭のため各地からやって来た巡礼者で賑わうエルサレムで起こったが、パウロの場合は五旬祭のために集まっていた大勢のユダヤ人群衆によって捕えられた。

 パウロが告発された第一の理由は、「民と律法とこの場所を無視することを、至るところでだれにでも教えている」(28節a)ということだった。かつてパウロは、衝撃的な仕方で主イエスと出会い、それまで攻撃の対象だったこの御方を自分の救いの源として捉え直すという大きな経験をした。それ以来、それまで大切にしてきた自分がユダヤ人であるという民族的誇り、またそれだけが神との関係を保つ唯一のものと信じていた律法、そしてユダヤ人という限られた民族のためだけに建てられたエルサレム神殿における排他的な「救い」というものにパウロは価値を見出さなくなった。

 だが、パウロはそれらを完全に否定したわけではなかった。主イエスは、「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。はっきり言っておく。すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、律法の文字から一点一画も消え去ることはない」(マタイ5:17-18)と言われた。この言葉に示されているように、パウロは主がこれらのものとの関わりの中で御業を示し、救いの出来事を成し遂げられたこと、そして新しいイスラエルと呼ばれる教会を生み出されたことを知っていたからだ。ところが、ユダヤ人たちはパウロが自分たちのアイデンティティを全面否定したと考え、激しく攻撃した。

 さらに、彼らはパウロが「ギリシア人を境内に連れ込んで、この聖なる場所を汚してしまった」(28節b)と言って非難した。それは全くの誤解だったが、異邦人が神殿の外庭に設けられた柵より先に進めば死刑に処せられる定めがあるというのは事実だった。そこには、民族を隔てる敵意という中垣が依然として存在していたのだ。

 しかしその垣根も、究極的には神の御業によって既に消滅していた。主イエスが十字架の死を遂げられた時、神殿の幕が引き裂かれ、神と人間との隔ては取り除かれた。この出来事によって、もはやユダヤ人も異邦人もない、全人類救済の道が開かれたのだ。パウロの視線はそこに注がれていた。

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2015年4月19日 復活節第3主日

説教:「パウロの弁明」
聖書朗読:使徒言行録21章37節〜22章5節
説教者 : 北川善也牧師

 使徒パウロは、ローマ軍のアントニア城塞で保護・監禁される直前、城塞に至る階段の上で弁明の機会を与えられた。

 「パウロはヘブライ語で話し始めた」(40節)とあるが、これは当時ユダヤ人の日常言語だったアラム語で話し始めたことを指す。

 パウロは、ローマ帝国支配下のタルソス生まれであり、ローマの市民権を有していた。ローマ市民を裁く法廷では、ローマの公用語であるギリシア語が用いられた。

 パウロは、ローマ市民としてギリシア語に堪能だっただけでなく、故郷でユダヤ人の両親からアラム語を学び取っていたのだ。

 アラム語は、ローマ支配下のユダヤ人にとって特に訴える力を持つ言語だった。パウロは、「兄弟であり父である皆さん、これから申し上げる弁明を聞いてください」(22:1)と語ったが、これはユダヤ人同胞に対する親しみを込めた言葉であると同時に、自らの信仰を確信をもって証しするという意味の「弁明開始宣言」だった。

 ところで、パウロの名を聞いてユダヤ人たちがすぐ思い浮かべたのは、律法学者として尊敬を集め、キリスト者に対して人一倍熱心に迫害していた姿だったろう。それほどパウロは律法学者、そして迫害者として名を馳せていたのだ。パウロ自身、後に自分の手紙の中で次のように振り返っている。

 「あなたがたは、わたしがかつてユダヤ教徒としてどのようにふるまっていたかを聞いています。わたしは、徹底的に神の教会を迫害し、滅ぼそうとしていました。また、先祖からの伝承を守るのに人一倍熱心で、同胞の間では同じ年ごろの多くの者よりもユダヤ教に徹しようとしていました」(ガラ1:13-14)。

 ユダヤ教に大変熱心だった頃のパウロは、「神の義を知らず、自分の義を求めようとして、神の義に従わなかった」(ロマ10:3)と自分を顧みている。当時のパウロは、律法の教えを自分の力によって守ることのみに集中し、そのような生活に励みつつ生きる者こそ義なる人間だと信じていた。そのようなパウロの信念はやがてエスカレートしていき、「この道(キリスト教)を迫害し、男女を問わず縛り上げて獄に投じ、殺すことさえした」(22:4)と告白している。

 ユダヤ社会で生き続けるのであれば、そのような生き方を貫くのが賢明だったと言えるだろう。実際、彼はそのような生き方を示すことで高い地位を与えられ、人々の尊敬を集めていたのだ。

 しかし、彼はそのような人生ではなく、試練や苦しみの途切れることのない人生の旅路を選んだ。いや、選んだというのは不正確だ。パウロは、キリストのものとして捕えられてしまったがゆえに、多くの苦しみを受けることとなった。パウロが遭遇した試練も苦しみも、彼が使徒として主の御体なる教会に仕え、教会のために働けば働くほど増していくのだ。

 それでもパウロは、そのようなキリストの御名による試練や苦しみの一切を、キリストの御名のゆえに積極的に担っていく。

 こうしてエルサレムに始まったキリストの教会の歩みは、主御自身が「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」(使徒1:8)と言われた通り、全世界に向かって確実に広がり続けていくのだ。

 このことは、パウロを始めとする人間の力によるものではなく、ただ神の憐れみのうちに粛々と進められていく神御自身の計画なのだ。今、日本の京都において我々がこうして教会に集められ、御言葉を通して主との出会いが与えられているのも、神による救いの御業の現れに他ならない。

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2015年4月26日 復活節第4主日

説教:「パウロの回心体験」
聖書朗読:使徒言行録22章6節〜11節
説教者 : 北川善也牧師

 パウロの人生は、ある日を境にして大きく変化した。それは、180度の方向転換とも言うべき根本的な大変革だった。

 それは、彼が「パウロ」というギリシア・ローマ風の名を名乗り始める前の、「サウロ」というユダヤ名を名乗っていた頃のことだ。彼は、ユダヤ人にとって文字通り身体に刻みつけるようにして覚え、実行することを求められている律法の若い教師だった。

 そんな彼にとって、「イエス・キリストが神の御子としてこの世に来られ、この御方を信じる者は罪の赦しを受け、神の御国に入れられる約束に与る」と教えるキリストの教会は、神を冒涜する許し難い存在と映った。それゆえ、彼は自分にとって「目の上のたんこぶ」のような存在であるキリストの教会を破壊し、そこに集まっているキリスト者を徹底的に弾圧する働きに熱心に取り組んだ。

 そんなある日、パウロの人生を大きく変える出来事が起こる。それは、彼がダマスコの町で活動しているキリスト者の群れを迫害するために向かっていた旅の途中のことだった。

 突然、パウロに不思議な力が働き、回心が与えられるのだ。あれほど執拗にキリストを信じる者たちを憎み、その存在をこの世から消し去りたいという思いを募らせ、実際そのための働きに手を染めていたパウロの心にいったいどんな力が働いたのだろうか。

 彼は、キリスト者を迫害するために赴こうとしていたダマスコへの途上で強い光に照らされた。真昼であったのにそう感じたという。舞台劇で、注目すべき役者にスポットライトが当てられるように、神によって御目を注がれたパウロに光が照らされたのだ。

 この時、パウロは主イエス御自身の言葉を聴いた。「わたしは地面に倒れ、『サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか』と言う声を聞いたのです。『主よ、あなたはどなたですか』と尋ねると、『わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスである』と答えがありました。一緒にいた人々は、その光は見たのですが、わたしに話しかけた方の声は聞きませんでした。『主よ、どうしたらよいでしょうか』と申しますと、主は、『立ち上がってダマスコへ行け。しなければならないことは、すべてそこで知らされる』と言われました」(7-10節)。

 パウロは、この言葉によって変えられたのだ。神の御言葉は、一人の人間を捕え、その人を根本的に変えてしまう大きな力を持っている。それまでキリストを信じる者たちを徹底的に迫害していた人間が、まったく逆の立場、すなわち攻撃の対象にしていたキリストを受け入れ、この御方のためなら何もかも捨てて従っていく人間に変えられていくのだ。

 この時、主はパウロに対して、「サウロ」ではなく「サウル」と呼びかけられた。これは、旧約聖書に登場する「サウル王」と同じ、大変伝統的なユダヤの名前だった。このことから、主は彼が最も固執している事柄を知り、何よりも彼自身のことを大変よく知っておられたということがわかる。

 彼は、ユダヤ人が先祖代々伝統的に守り続けてきた律法を何よりも大切にしてきた。そのパウロに対して、主は「サウル、わたしはあなたのことなら何でもよく知っている。今、わたしの呼びかけに応えてわたしの方を向きなさい」と呼びかけられたのだ。

 主が知っておられるのは、パウロのことだけではない。すべての人間が、主によって知られている。今、この礼拝堂に集められている我々は、パウロのように劇的ではないにせよ、それぞれに主の御声を聴き取り、呼びかけられた御言葉に対して応答しようとしたからこそ、ここにいるのではないか。

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