先週の説教 -バックナンバー-
15年7月のバックナンバーです。
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説教:「騒動を引き起こす者」
聖書朗読:使徒言行録24章1〜9節
説教者 : 北川善也牧師
パウロは、命を付け狙うユダヤ人からローマ兵によって守られ、安全にエルサレムからカイサリアへと移送されたが、そこで留置されている間に最高法院の代表者である大祭司アナニアが長老数名と弁護士テルティロを伴ってパウロ告訴のために乗り込んで来た。
彼らがここまで執拗にパウロを追い詰めようとする様子から、彼らにとっていかにパウロが目障りな存在だったかということがよくわかる。彼らは、ユダヤの伝統的な教えを否定し、イエスという人間が神であると宣べ伝えるパウロを黙らせるためなら何でもするという意気込みを持っていた。
彼らは、有能な弁護士テルティロを立ててパウロを告訴した。テルティロは、ユダヤ人たちに多額の報酬で雇われた、語学や法律に堪能な人物だったようだ。
彼はまず、抜け目なく総督フェリクスをほめたたえ、ローマ帝国によってもたらされた平和と秩序に感謝することから始めた。その後、丁重に許可を得てパウロの告訴に入り、「実は、この男は疫病のような人間で、世界中のユダヤ人の間に騒動を引き起こしている者、『ナザレ人の分派』の主謀者であります」(5節)と説明した。
「ナザレ人の分派」とは、ガリラヤのナザレ出身である主イエスに従う者たちの呼称だ。テルティロはこのように呼ぶことでパウロが主イエスの流れをくむ異端のリーダーであることを強調した。そして、主イエスはエルサレムに混乱を巻き起こしたかどで十字架にかけられ処刑されたが、パウロはそれをさらにエスカレートさせ、全世界のユダヤ人を混乱に陥れようとする過激分子であることを印象付けようとしたのだ。
テルティロはパウロ告訴の理由として、「この男は神殿さえも汚そうとしましたので逮捕いたしました」(6節)と訴えた。彼は、このように言うことでパウロが無秩序であり、厳しく処罰すべき者であることをアピールした。
テルティロは、このように明確な理由から法的な手続きに沿ってパウロを告訴したにもかかわらず、ローマ軍の千人隊長リシアが介入して自分たちの裁判権を取り上げてしまったと、上司であるフェリクスに告げ口までしている。
テルティロは弁舌を尽くして徹底的にパウロの印象を貶め、誰の目から見ても有罪というところまで持っていった。だから、弁論を終える際、「閣下御自身でこの者をお調べくだされば、私どもの告発したことがすべてお分かりになるかと存じます」(8節)と胸を張るのだ。すると、これをダメ押しするように、一緒に来たユダヤ人たちが声を合わせて「そのとおりである」と申し立てた。
彼らにとって、パウロは「疫病をまき散らす」ような存在だった。しかし、パウロが放っていたのは、彼がコリントの信徒への手紙に記しているように、「キリストの香り」に他ならなかった。
「神に感謝します。神は、わたしたちをいつもキリストの勝利の行進に連ならせ、わたしたちを通じて至るところに、キリストを知るという知識の香りを漂わせてくださいます。救いの道をたどる者にとっても、滅びの道をたどる者にとっても、わたしたちはキリストによって神に献げられる良い香りです」(Uコリ2:14-16)。
パウロは、このようなキリストの香りを広めることによって、世界中の人々に対立ではなく、キリストにおける一致がもたらされることを願っていた。
そのパウロは、「行け。わたしがあなたを遠く異邦人のために遣わすのだ」(22:21)との主の御言葉によって、倒れても倒れても何度でも立ち上がり、どこまでも主に従っていく。主の備えたもう道は、決して途切れることなく一直線に続いていくのだ。
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説教:「復活の希望」
聖書朗読:使徒言行録24章10〜23節
説教者 : 北川善也牧師
パウロは、ローマ総督フェリクスのもとで裁判にかけられた。まず、パウロを訴えているユダヤ人側の代表として弁護士テルティロが弁舌をふるったが、彼はパウロが「ナザレ人の分派」、すなわち、ユダヤの伝統的信仰から外れた異端の教師であり、治安を乱す危険人物だと強く訴えた。
これに対し、パウロは次のように弁明した。「しかしここで、はっきり申し上げます。私は、彼らが『分派』と呼んでいるこの道に従って、先祖の神を礼拝し、また、律法に則したことと預言者の書に書いてあることを、ことごとく信じています」(14節)。
パウロは、自分がエルサレムに来た目的は、何よりも礼拝のためだと言い、自分がしているのは分派活動ではなく、ユダヤの伝統的な教え、すなわち、旧約聖書の信仰に基づくものだと主張した。そして、自分はユダヤ人のために異邦人が捧げてくれた救援金と供え物を携えて来たことを訴えた。
だが、何よりもパウロにとってはそれらの前に語った内容の方が重要だった。すなわち、彼がエルサレムに来た最大の理由は、「復活の希望」を宣べ伝えるために他ならなかったのだ。「正しい者も正しくない者もやがて復活するという希望を、神に対して抱いています」(15節)。パウロは、自分が復活の信仰に生きているという信仰告白をここでしている。
多くの人が死をもってすべては終わると考え、「生きているうちが花」とばかりに虚しさを引きずりながらこの世を生きている。しかしパウロは、この世の限りある命を越えた、「復活の希望」を力強く証しした。しかも、彼は「この希望は、この人たち自身も同じように抱いております」(15節b)と言って、現在、法廷で自分のことを告訴しているユダヤ人たちを指さし、神を信じている彼らが自分と同じ「復活の希望」を待ち望んでいるはずだと強調した。
パウロは、自身が記した手紙の中で次のように語っている。「希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです」(ロマ5:5)。自分に与えられているこの「復活の希望」は必ず成し遂げられる。なぜならば、それは絶対不変の神が愛をもって約束された事柄だからだ、とパウロはここで証ししている。そして彼は、そのような神の愛がすべての人に例外なく注がれており、救いの約束から漏れている人は一人もいないという強い確信を与えられていた。それが、彼を伝道へと駆り立てる原動力となったのだ。
すべての人が復活の命に入れられるという神の約束に希望を置きつつ、その福音を必死で宣べ伝えようとするパウロの姿がここに示されている。そして今、パウロ自身が被告として立つ裁判の法廷において、いわば裁判官としての立場でパウロの弁明を聞いている総督フェリクスの心の奥深くに、パウロの言葉は単なる自己弁護ではなく、「復活の希望」を語る力ある証しとして響いていく。
「フェリクスは、この道についてかなり詳しく知っていたので、『千人隊長リシアが下って来るのを待って、あなたたちの申し立てに対して判決を下すことにする』と言って裁判を延期した」(22節)。フェリクスはローマ総督という職務上、キリスト教に関する知識を多少は持っていた。しかし、それはあくまでも「敵を知る」ための知識に他ならなかった。
そんな彼にパウロとの出会いが与えられ、パウロを通してキリストによる「復活の希望」がもたらされた。そして、フェリクスはそのことについてもっと詳しく聞きたいと願うようになり、少しでも裁判を長引かせてパウロと接触する時を持とうとするのだ。
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説教:「キリスト・イエスへの信仰」
聖書朗読:使徒言行録24章24〜27節
説教者 : 北川善也牧師
被告人パウロが法廷で自らの弁明を終えた時、裁判官としてその場にいたローマ総督フェリクスの心は高揚を覚えていた。それは、パウロの言葉が単なる自己弁護ではなく、「復活の希望」を証しする力ある言葉だったからだ。
フェリクスは、ローマ総督という職務上、キリスト教に関する知識を多少は持っていた。だが、それはあくまでも「敵を知る」ための知識に他ならなかった。
フェリクスの妻ドルシラは、ヘロデ大王の孫であるヘロデ・アグリッパ一世の娘だったが、彼らの結婚は政略的なものではなく、互いに別の相手と結婚している時に不倫の関係で近づいたことがきっかけだったと言われている。
ドルシラの父ヘロデ・アグリッパ一世の名は、使徒言行録12章に厳しいキリスト教迫害者として出てくる。かつてはパウロも彼のもとで迫害に携わっていたファリサイ派の律法学者だったが、ダマスコ途上での主イエスとの出会いによって回心を与えられた。
フェリクスはパウロから、キリストの教えがユダヤ教と両立するものであると聞き、妻ドルシラと共に「復活の希望」を証しするパウロの信仰、すなわち、イエス・キリストについてもっと詳しく聞きたいと願うようになった。
この時点で、既にフェリクスのキリスト教に対する関心は、「敵を知る」ためのものではなくなっていた。彼は、「復活」という死を超えたところに希望を持って生きる信仰を真剣に受け止めようとしていたのではなかろうか。
ところが、彼らに対してパウロが語ったのは、「正義や節制や来るべき裁きについて」(25節)、すなわち、罪に染まった人間がそのままの状態では救われないという事実だった。不倫の関係によって結ばれたフェリクス夫妻の心に、パウロの言葉は厳しく突き刺さったことだろう。それで、「フェリクスは恐ろしくなり、(パウロに)『今回はこれで帰ってよろしい。また適当な機会に呼び出すことにする』と言った」(25節)のだ。
フェリクスたちは、死んだらすべて終わりなのだから、せいぜい生きている間に出来るだけ快楽を味わおうと考えるような世俗主義にどっぷり浸かって生きていた。
そんな彼らに、パウロが語る福音は恐ろしい言葉として響いた。人間の力だけを頼みとし、そこにしか拠り所を持たない者は、どこまで行っても恐れから逃れることが出来ない。人間中心主義の生き方を貫く限り、真の慰めや希望を知ることは出来ないのだ。
人間は誰も皆、死んだらすべてが終わるという虚しさからの解放を願い求めている。そんな我々にとって、人間は死んで終わるのではない、神の御子が勝ち取られた永遠の命、復活の命が自分のためにも用意されているという信仰は、真の慰めと希望の源だ。
この世の価値観をはるかに越えたそのような希望をフェリクスはしっかり受け止めることが出来ただろうか。この先のことは不明だが、フェリクスがパウロを個人的に呼び出し、妻と共にその希望の源である主イエスについての話を聞いたということは確かだ。後は、蒔かれた御言葉の種を成長させてくださる神に委ねるのみだ。
この後、パウロは二年間カイサリアに留まることになる。「二年たって、フェリクスの後任者としてポルキウス・フェストゥスが赴任したが、フェリクスは、ユダヤ人に気に入られようとして、パウロを監禁したままにしておいた」(27節)からだ。この二年間は、パウロにとって苦難の日々だったはずだ。しかし、主から「復活の希望」という何よりも大きな慰めを受けていた彼は、それを原動力としていかなる状況に対しても勇気をもって立ち向かっていく。
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説教:「ローマ皇帝への上訴」
聖書朗読:使徒言行録25章1〜12節
説教者 : 北川善也牧師
ローマ総督がフェストゥスに交代した時、パウロはカイサリアのローマ総督府に監禁されていた。
「フェストゥスは、総督として着任して三日たってから、カイサリアからエルサレムへ上った」(1節)。着任後間もなくユダヤの首都へ向かったところに彼の任務に対する情熱が表れている。あるいは、このように振る舞うことでユダヤの人々に自分への親近感を持たせたかったのかも知れない。
だが、ユダヤ人たちは事情を知らないフェストゥスを丸め込み、パウロの問題を自分たちの思惑通りに決着させようとしていた。
フェストゥスは彼らの陰謀を嗅ぎ取り、どうしてもパウロを訴えたいならカイサリアに来て正規の手順を踏むべきだと告げた。彼らはこの言葉に従ってカイサリアを訪れ、「パウロが出廷すると……彼を取り囲んで、重い罪状をあれこれ言い立てたが、それを立証することはできなかった」(7節)。
これに対しパウロは「私は、ユダヤ人の律法に対しても、神殿に対しても、皇帝に対しても何も罪を犯したことはありません」(8節)と弁明した。パウロは、自分の語っている福音がユダヤの伝統的な教え、すなわち旧約聖書を受け継ぐものであり、何ら敵対するものではないと語ったのだ。
すると、フェストゥスは「ユダヤ人に気に入られようとして」言った。「お前は、エルサレムに上って、そこでこれらのことについて、わたしの前で裁判を受けたいと思うか」(9節)。これに対してパウロは次のように訴えた。「私は、皇帝の法廷に出頭しているのですから、ここで裁判を受けるのが当然です。……この人たちの訴えが事実無根なら、だれも私を彼らに引き渡すような取り計らいはできません。私は皇帝に上訴します」(10-11節)。
パウロのようにローマ市民権を持つ者は、皇帝のもとで裁判を受ける権利を有していた。そして、ローマの法は、ローマ市民が正しい裁判を受けられない場合、皇帝に直接上訴出来ると定めていた。パウロは、フェストゥスが自分の裁判を正しく行おうとしていないことを察し、その場でとっさに皇帝への上訴を願い出たのだ。
これは単なる権利の主張ではなかった。ローマ皇帝の裁きは事実上の最高裁判決だから、その決定には従わざるを得ない。もしも死刑を宣告されれば即座に刑が執行されることになる。パウロは文字通り、命懸けで上訴したのだ。
このパウロの行動は人間の判断をはるかに越えたものだった。かつてパウロは、エルサレムの最高法院で厳しく裁かれ、それに対する彼の反論が火に油を注いで命からがら法廷外へ連れ出された。そんな恐ろしい経験をして気弱になっていたパウロにその夜、主の御声が響いた。「勇気を出せ。エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなければならない」(23:11)。
さらに、ダマスコ途上の出来事により力を失ったパウロのいやしを命じられたアナニアに対して主は言われた。「行け。あの者(パウロ)は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。わたしの名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、わたしは彼に示そう」(9:15-16)。
パウロの人生は常に主の御手のうちに置かれていた。迫害者パウロを立ち帰らせ、伝道者として歩ませられたこと自体が主の御計画以外の何ものでもなかった。その御手によって、彼は今ローマへと向かわせられようとしていた。
一方、パウロ自身も祈りをもってこの時を待ち望んでいた。パウロが過ごした、人間の力では何も出来ない二年間の獄中生活は、主の御言葉が成し遂げられるのを待つための時間に他ならなかった。
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