日本基督教団 洛北教会

2011年 教会標語『常に主を覚えてあなたの道を歩け。』(箴言3章6節)

先週の説教 -バックナンバー-

15年11月のバックナンバーです。

2015年11月1日 降誕前第8主日

説教:「わたしたちが助かったとき」
聖書朗読:使徒言行録27章39節〜28章10節
説教者 : 北川善也牧師

 イエスこそ神の御子にして全人類の救い主である、との福音を人々に宣べ伝える働きに取り組んだパウロは、同胞であるユダヤ人から命をつけ狙われ、町の治安を乱す者としてローマの官憲によって身柄を拘束された。

 囚われの身となったパウロは、ローマの市民権を行使し、自分の裁判をローマ皇帝の前で行うよう上訴する。こうして彼は、当時、世界の中心であったローマに赴くこととなるのだ。

 だが、そのローマへの旅路は容易なものではなかった。パウロの他200名以上の人々を乗せて出港した船は、今や激しい暴風を受け沈没寸前という状況に陥っていた。そんな中、極度の緊張や船酔いにより食事をとる気力も失せていた乗組員全員に、囚人パウロが「必ず一人残らず生きて上陸できる」との神の約束を語って励まし、食事をとらせて元気づけた。

 ところが、「深みに挟まれた浅瀬にぶつかって船を乗り上げてしまい、船首がめり込んで動かなくなり、船尾は激しい波で壊れだし」てしまった(41節b)。乗組員全員が溺死する危機に直面した上、「兵士たちは、囚人たちが泳いで逃げないように、殺そうと計った」(42節)。全員が救われるという神の約束は、もはや潰えてしまったかのように思われた。

 しかし、神による救いの約束は、人間の思いを越えて着実に進められていく。彼らは、このような危機的状況を乗り越え、全員無事マルタ島に上陸することが出来た。マルタの人々は、「降る雨と寒さをしのぐためにたき火をたいて」彼らをもてなしてくれた(2節)。

 長時間海を漂流し、疲れ果てているはずのパウロだったが、島民の好意を一方的に受けるだけではいられなかった。彼らが起こしてくれた火を保つため、自ら一束の枯れ枝を集めてくるのだ。ここには、異教の地に住む未知の人々との交わりを大切にしようとするパウロの姿勢が表れている。

 だが、パウロが島民の好意に応えるため運んできた枯れ枝の中に一匹の蝮が潜んでいた。こうして、せっかくのパウロの行動が彼らの躓きとなってしまうのだ。伝道者が福音を告げる時、それを初めて聴いた人々に起こる躓きや恐れ、拒絶といった反応が、このことに象徴的に示されている。福音を受け入れるということは、簡単なことでも当たり前のことでもない。そこに伝道の困難さがある。

 蝮はパウロの手に噛みついた。しかし、その毒が彼に及ばないのを見て、島民は態度を一変させる。伝道困難なこの島の状況を見て早晩あきらめるだろうと思っていたパウロが、神に守られ、平安のうちに固く立ち続ける姿を見て人々は変えられていくのだ。

 パウロがここに至るまで一言も発していないことに注目したい。教会では「証し」という言葉がよく用いられる。証しとは、信仰者が自分に与えられたキリストとの出会いについて語ることを言うが、この時のパウロのように、それは必ずしも言葉によるものだけとは限らない。一人の信仰者の生き方そのものが証しになるということもあるのだ。

 こうしたパウロの伝道は、島全体に広がっていき、パウロたちがマルタ島から船出する際、島民は深い敬意を示して送り出してくれた。ユダヤという狭く古い枠を越え、全世界というはるかな広がりへと福音が宣べ伝えられていったのは、このような地道な伝道の積み重ねによるものだったということが偲ばれるエピソードだ。

 このようなパウロの伝道が示しているように、伝道は神御自身が着実に進めていかれる。それゆえ、我々はそのことに全き信頼を置き、勇気をもって伝道の働きの一端を担わせていただこう。

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2015年11月8日 降誕前第7主日

説教:「ろばに乗るイエス様」
聖書朗読:ヨハネによる福音書12章12〜19節
説教者 : 北川善也牧師

 「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように、イスラエルの王に」。イエスさまがエルサレムに来られると聞いて、たくさんの人たちがなつめやしの枝をもって、イエスさまを迎えに出てきました。たくさんの人たちがなつめやしの枝をふったり、道にしいたりしながら、よろこんで叫びました。「王さまが来られた!わたしたちの王さまだ!」どうしてみんなはイエスさまのことを王さまと呼ぶのでしょう。

 少し前、病気で死んでしまったラザロさんという人がお墓に入れられているのを、イエスさまが生き返らせるという不思議なことをなさいました。死んだと思っていたラザロさんが生き返ったので、ラザロさんの家族やお友だちなど町の人たちみんなが大喜びしました。それで、みんなはイエスさまがこの不思議な力を使って、自分たちの王さまになってくれたらいいなあと思ったのです。

 「王さま、どうぞわたしたちを、にくい敵の手からすくってください!」このとき、イスラエルの人たちは、ローマという大きな国に苦しめられていました。だから、イエスさまがイスラエルの王さまになって、にくらしい敵たちをみんなやっつけてくれたらいいなあと思っていたのです。

 昔の王さまは、馬に乗って戦争に出かけました。馬はとても足が速いです。それから背も高いです。しっかりと自信を持った面持ちで力強い体つきをしています。昔の王さまは、そのような馬に乗りながら、上からみんなを見下ろしていばっていたのです。

 けれども、イエスさまは、馬ではなくて、ろばの子を見つけてその背中にお乗りになりました。ろばは馬に比べると、体が小さくて、足もあまり速くありません。下を向いて、何だか自信がなさそうな感じです。足も短いです。どうしてイエスさまは、このように小さくて足の遅いろば、それも子どものろばに乗られたのでしょう。

 そのときは、イエスさまのお弟子さんたちも、たくさんの人たちも、みんなどうしてイエスさまがろばの子を選ばれたのかわかりませんでした。そのことがわかるようになったのは、この後、イエスさまが十字架におかかりになってからのことでした。

 イエスさまは、馬に乗って高いところからみんなを見下ろしていばっている王さまではありませんでした。イエスさまは、弱っている人や苦しんでいる人のところにやってきて、助け出してくださる神の子だったのです。

 そして、イエスさまは、にくい敵をやっつけるためにやってきたのでもありませんでした。世界中のすべての人が神さまを信じて、なかよく暮らすことが出来るように、イエスさまは十字架におかかりになり、「みんなの罪をおゆるしください」と父なる神さまに祈って、そのことを成し遂げてくださったのです。イエスさまは、誰一人として見放すことなく、すべての人の救いを完成してくださいました。この時も、イエスさまは、そこにいる一人一人に目を向けることが出来るよう、背が低く、ゆっくりと歩く子ろばに乗ってこられたのだと思います。

 イエスさまは、ご自分の命を差し出し、十字架におかかりになることで、神さまのことがわからず、神さまに背中を向けてしまっているわたしたちが、神さまの方を向いて生きることができるようにしてくださいました。イエスさまは、わたしたちみんなに新しい命を与え、新しい生き方ができるようにしてくださる神の子なのです。

 イエスさまは、そのようにしてわたしたちのことを守り導いてくださいますから、わたしたちはどんな時でもこのイエスさまを信じて従っていきたいと思います。

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2015年11月15日 降誕前第6主日

説教:「ローマ到着」
聖書朗読:使徒言行録28章11〜16節
説教者 : 北川善也牧師

 パウロたちを乗せた船は、暴風によって航行不能となり、洋上をただ漂流するしかない、沈没寸前の状態で命からがらマルタ島にたどり着いた。

 島では、上陸後すぐに島民たちからの援助を受け、疲れ果てていたパウロも元気を取り戻して福音伝道の働きに取り組んだ。この伝道により、異教の神々を信じる島民たちの中から、イエス・キリストを受け入れ、福音を信じる者たちが与えられた。

 洋上が激しく荒れる冬の季節をやり過ごす必要もあって、三か月間マルタ島に滞在したパウロたちは、キリスト者とされた多くの島民たちに見送られ、新たな貨物船に乗り込んでイタリアへと向けて出港した。嵐の時季が過ぎ、彼らの船旅は以前とは打って変わって順調なものだった。そして、とうとう目的地ローマのお膝元であるプテオリの港に到着するのだ。

 この時のパウロはどのような心境だったろうか。パウロのローマへの旅は、もともと彼が思い描いていたような仕方とは全く違う形で進められていった。パウロのローマ行きは、ローマの官憲によって捕らえられ、護送される囚人としての旅だった。しかも、パウロが乗った船は、暴風によって翻弄され、ただ漂流するしかなく、命の保証もないような状況に陥った。このような紆余曲折を経て、本当にローマにたどり着けるのかもわからないパウロの旅は、人間の力をはるかに超えた導きによって確実に進められていった。

 プテオリに上陸した彼らは、そこから海岸沿いのアッピア街道を進む陸路の旅に入った。その途上には、アピイフォルムとトレス・タベルネという町があった。それぞれローマから決して近い距離ではなかったが、パウロがローマに近づいてきたという知らせを聞きつけたローマのキリスト者たちが、離れた町までパウロのことを出迎えに来てくれたのだ。

 このことは、パウロを大いに力づけ、神に対する感謝を止めどなく湧き溢れさせた。これからローマ皇帝の前に出向き、一人裁判を受けようとしているパウロは、大変な孤独を感じていたことだろう。しかし、この時、自分の伝道によって建てられたのではないローマの教会から、ただ同じ信仰を持つ者として、愛と喜びをもって迎えに来てくれた人々の交わりを通して、パウロは自分がたった一人ではないということを身をもって知ることが出来た。

 キリスト者は、決して孤独ではない。キリスト者の周囲には、いつでも多くの主の証人がいる。そこには絶えず祈り合い、支え合い、助け合って生きる群れが形成されていく。そして、キリスト者が歩む道のりは、かつて信仰の先達が歩んできた道のりであり、それはまた聖書の登場人物たちが歩んだのと同じ道のりに他ならない。

 キリストの福音は、今や全世界に広がり、キリスト者は世界規模の交わりの中に入れられている。キリスト者は、どこへ行こうとも、同じ信仰によって生きる人々が世界中にいることを知り、その人々との交わりを通して信仰による恵みをさらに増し加えられていく。

 何よりキリスト者には、復活の主がいついかなる時も共におられるという確信が与えられている。主イエスは、「見よ、わたしはいつもあなたがたと共にいるのである」と約束された。この約束は、我々人間をご自分の似姿として創造されたゆえに、どこまでもひたすら愛し抜いてくださる神が、御自分の最愛の御子、イエス・キリストを十字架におかけになることによって成し遂げられた。

 このように何よりも確かな、永久不変の約束を与えられている我々は、救いの確信をもって喜びと希望のうちに、伸び伸びと生きていくことを赦されている。

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2015年11月22日 降誕前第5主日

説教:「福音を世界へ」
聖書朗読:使徒言行録28章17〜22節
説教者 : 北川善也牧師

 パウロは、とうとう念願のローマに到着した。当時、世界最大の国家であったローマ帝国の首都であり、「全ての道はローマに通ず」と言われたこの大都市で、パウロはキリストによる人類救済の御業について宣べ伝えることを何より強く求めていたのだ。

 パウロは、ローマに囚人として護送されて来たが、未決囚だったので「番兵を一人つけられたが、自分だけで住むことを許された」(16節)。そして、その家にローマの主だったユダヤ人を招くことも許可された。ローマには、当時活発な動きをしているユダヤ人グループが数多く存在し、彼らの集会拠点であるシナゴーグは10カ所以上あったと言われている。

 こうしたユダヤ人グループは、相互の結びつきが密だったため、情報収集能力にも大変優れていた。おそらくパウロが小アジアやマケドニアを伝道旅行した際に起こった騒動についても知っていたことだろう。しかし、それは噂の域を出るものではなく、ローマのユダヤ人たちはパウロと直接会い、彼がどういう人物であるか確かめたいと願っていたのだ。

 パウロは、次のように語り始めた。「兄弟たち、わたしは、民に対しても先祖の慣習に対しても、背くようなことは何一つしていないのに、エルサレムで囚人としてローマ人の手に引き渡されてしまいました。ローマ人はわたしを取り調べたのですが、死刑に相当する理由が何も無かったので、釈放しようと思ったのです。しかし、ユダヤ人たちが反対したので、わたしは皇帝に上訴せざるをえませんでした。これは、決して同胞を告発するためではありません。だからこそ、お会いして話し合いたいと、あなたがたにお願いしたのです」(17-20節a)。

 パウロがここで最も強調したかったこと、そして彼がこれまで一貫して訴え続けてきたことは、「イスラエルが希望していることのために、わたしはこのように鎖でつながれている」(20節b)ということだった。「イスラエルの希望」とは、旧約聖書が指し示すメシアの到来に他ならず、パウロはイエスこそそのメシアであり、イエスの十字架によって神の救いの御業は成し遂げられたのだという福音を告げ知らせていた。

 パウロに招かれたユダヤ人たちは、噂話を真に受けるような人たちではなかった。当時、キリスト教はユダヤ教の一分派のように見られていたため、一部のユダヤ人から強い批判を受けていた。ローマのユダヤ人たちは、そのような一部の人間による批判だけでは、パウロの語っていることが一面的にしか伝わってこないと考えた。そこで彼らは、パウロから直接話を聞こうとしたのだ。

 このような人々と出会うことこそ、パウロが何よりも願っていたことだった。パウロは、念願のローマ行きを前にして、まだ見ぬローマ教会の信徒たちに書いた手紙の中で次のように記している。

 「わたしは、祈るときにはいつもあなたがたのことを思い起こし、何とかしていつかは神の御心によってあなたがたのところへ行ける機会があるように、願っています。あなたがたにぜひ会いたいのは、“霊”の賜物をいくらかでも分け与えて、力になりたいからです。あなたがたのところで、あなたがたとわたしが互いに持っている信仰によって、励まし合いたいのです」(ローマ1:9b-12)。

 イエスこそキリストであると告白する信仰を分かち合い、その信仰によって励まし合うところに教会の交わりがある。そして、そのような信仰があるところには、また新たな信仰が生み出されていく。キリストの御降誕を待ち望むこの時節にあって、そのような信仰の交わりに新たな人々が増し加えられることを心から願う。

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2015年11月29日 待降節第1主日

説教:「喜びと希望に満ちた囚人」
聖書朗読:使徒言行録28章23〜29節
説教者 : 北川善也牧師

 使徒パウロは、陸路や海路で大変困難な経験をしながら、小アジアからマケドニア、そして地中海の島々へと三回にわたって、神の救いの御業を宣べ伝える旅を行った。このような福音伝道の働きにより、大勢の人々が主イエスを信じるようになっていった。

 だが、その一方で、このようなパウロの行動に反感を持つ者も出てきた。特にエルサレムのユダヤ人宗教指導者の中には、パウロが律法を無視していると考え、目障りな彼を抹殺しように思う者たちがいた。彼らは、自分たちこそ神の民であり、神の救いの約束を受けているという強い誇りを持っていた。このような思いは、人間を傲慢にし、自分と異なる者を排除しようとする者に変えていく。

 果たして、パウロに反感を持った人々は、イエス・キリストを全く受け入れられず、パウロを、「神を冒涜した」という理由で捕らえた。しかし、パウロは、ユダヤの法廷では刑が確定されず、ローマ市民権を有していたパウロが自らローマ皇帝への上訴を申し立てることによって、ローマの法廷で裁かれることとなった。

 ローマへ護送されるパウロの船旅は、大きな危険を伴うものとなった。向かい風を受けて船はなかなか進むことが出来ず、さらに冬の地中海特有の嵐に見舞われ、どこを漂流しているかもわからなくなって、ついに難破してしまう。

 だが、このような困難にあっても、どこへ行こうとも、パウロはキリストの福音を語り続けた。かつて、主イエス御自身も、ユダヤ人指導者たちに憎まれ、神を冒涜したという理由で裁判にかけられた。パウロは、イエス・キリストの名を宣べ伝えることによって、主御自身と同じような状況に身を置くこととなった。けれども、パウロは、そのような困難に直面してもなおキリストに従い続けた。彼のような人間の働きによって福音は全世界に広がっていくのだ。

 パウロは、逮捕され、裁判を受けるという望ましくない理由でローマへ赴くこととなったが、このことが、ローマという当時世界の中心であった都市においてキリストの福音が宣べ伝えられるという大きな進展につながっていくのだ。人間の目から見た時、望ましくないと思われることさえも、神は御計画のために用いられる。

 ローマに連れて来られたパウロは、自分が軟禁されていた家に集まってきたユダヤ人たちに、朝から晩まで、旧約聖書に記されている律法や預言者の書を引用しながら、この言葉が指し示している主イエスについて証しした。

 しかし、そこにはキリストを受け入れる者ばかりでなく、信じない者たちもいた。幼い頃から旧約聖書に親しみ、その内容についてよく知っているユダヤ人の多くが、主イエスを受け入れないということは、実は旧約聖書そのものに記されていることだった。

 福音が彼らによって受け入れられないことを知ったパウロは、ユダヤ人ではなく、聖書の信仰に生きていなかった異邦人に対して福音を宣べ伝える道へと進んでいく。その結果、自分たちこそ救われるのだという思いによって傲慢になっていた人々ではなく、救いからはるか遠く離れていると思われていた人々に、神の救いの御言葉は受け入れられていく。これこそが、人間の思いを越えた、神の御計画に他ならなかったのだ。

 今や、この福音が、日本にいる我々のもとにも届けられ、それを聞いた我々は、こうして教会に集められている。そんな我々も神が与えてくださる救いの恵みをしっかりと受け止め、悔い改めて、イエス・キリストに立ち帰り、我々の周囲にいる人々にこの大いなる恵みである福音を宣べ伝える働きへと向かっていきたい。

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