日本基督教団 洛北教会

2022年 教会標語「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」(1テサロニケ5:16-18)

先週の説教 -バックナンバー-

22年11月のバックナンバーです。

2022年11月6日 終末前々主日

説教:「神の国」
聖書朗読:マルコによる福音書4章26〜34節
説教者 : 岡本知之牧師

説教黙想 「刈り入れの時」

 「種まき」の譬と同様、ここでも「神の国」が蒔かれた種と収穫を対比する譬で語られている。先の「種まき」の譬では、種がまかれる時の 徒労に見えるような状況と豊かな収穫が対照されていたが、この譬では収穫に至る過程が人間の理解や努力を超えたものであることが焦点と なっている。
 農夫は種をまいた後、作物が自然に成長して実を結ぶ時をひたすら待つ。農夫は作物が成長する仕組みを理解しているわけではない。土地に 作物を成長させる力があることを信じて、夜昼寝起きして収穫の時が来るのをひたすら待つだけである。
 農夫は直接作物に働きかけて、芽を出させ、つぎに穂を出させ、実を実らせることができるわけではない。ただ「夜昼寝起きして」いるだけで、何をすることもできない。けれども種がまかれた以上、時が来ればかならず実は実り、刈り入れができるようになる。農夫は土の力を信じて、忍耐強く時を待っている。
 「神の国」も同じである。種はすでにまかれた。刈り入れの時は必ず到来する。神はすでに業を始めておられる。時が来れば神は審判の鎌を入れて、神の民を栄光の中に集められるであろう。
 イエスはご自身の中に「神の国」が到来していることを知っておられる。イエスの中に隠された形ではあるが、神の業はすでに始まっている。神においては隠された始まりは顕にされた終わりを含んでいる。どうして終わりが顕現するのか、その仕組みを理解したり、その過程を人間の工夫や努力で変えたり促進したりすることはできない。ただ神の力と神の信実に委ねて、時を待つだけである。
 こうして、ここでも「隠されているもので顕れないものはない」という「神の国」到来の原理が語られているのである。

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2022年11月13日 終末前主日 オール洛北礼拝

説教:「あなたは私の宝物」
聖書朗読:列王記下23章1〜3節
説教者 : 森里信生牧師

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2022年11月20日 終末主日

説教:「とっておきの恵み」
聖書朗読:ヨハネによる福音書2章1〜11節
説教者 : 森里信生牧師

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2022年11月27日 待降節第1主日

説教:「教会はキリストの体」
聖書朗読:ヨハネによる福音書2章12〜22節
説教者 : 森里信生牧師

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